御役に立つということが何かということを深める機会がありました。
人は誰かのためにお役に立つと決めていても、その程度というものが異なるように思います。
例えば、自分がこの程度やればお役に立つだろうと考えているレベルか、もしくは世間で評価される程度のレベルか、さらには夢の実現のためのレベルかでその程度が異なります。
貢献度というものは、どの程度までやれば貢献なのかを自らが自覚することではじめて自他の御役に立てたという実感ももてるように思うのです。周りは、このくらいやったのだからと慰めたり労わったりしますが、当の本人がどの程度までやろうかでその定義も変わってくるのです。
つまりは程度とは、自分が引いている自律のラインで貢献度が決まるとも言えるのです。
何のためにやるのか、どこまでやるのか、そしてどの高みで諦めずに挑むのかで決まります。
そして理想や夢、丸ごとの責任をどこまで自分が背負うかでその貢献度も変わってきます。
例えば世界平和を願っていても、ガンジーやマザーテレサのようにどの程度まで自分の願いを実践に移すかはその人の「想いの強さ」によるように思うからです。同じ人だとしても、異なるのは程度の差であるということなのです。
御役に立ちたいと思う心に、自分の持てるものをまだまだ使わしめてくださいと真摯に祈り誓い歩むことに頂上はないのかもしれません。心の広さも深さも無限で、まず想うことから願うことから、祈ることか誓うことから決心するという過程を得るのかもしれません。
自らの定めた理想や夢の程度に従い、貢献というもの、御役に立ちたいと思うことを深めて学びとっていきたいと思います。せっかく一度しかない人生、自分として生まれてきたのだから、ご縁を確かめ、使命を味わい、どの程度まで貢献するかはその人次第であろうと思います。
いのちというものの理解を深めていきたいと思います。