ご縁を深めていると色々なことに再発見ができます。
例えば、自分というものや自分の周りのものをよく考え直してみると自分のものであることは一つもないことに気づきます。自分がどこからやってきたのか、自分が何をしているのか、それも全ては天の計らいというか天意というもので動いていることを実感するからです。
今の家族とのご縁や、友人、仲間、同志、様々な人たちとの出会いもご縁もまたいただいたもので自分のものではありません。この世に生まれてきてから今までも今もずっとそれは何かのご縁によって結ばれているからです。
この実感は、すべての体験そのものが自分のものではなく天が与えてくださったと思っているときに目には見えないけれど確かに存在する天意を覚えるからです。
例えば事故などにより、互いに傷つき傷つけあったとしてもそれもまた天意と思えるかどうかによるのです。当然、衝撃があり感情もあり同時に思いやりもありますがそれが天の見守りによって助けていただいていると互いに思えるかどうかによるものと思います。
つまりご縁とは、その間にあるもの中心に置いているものの存在に気づいてその存在にいつも感謝しているときにこそ真に実感できるのではないかと思えるのです。
つまり天意というものは、いつも「有難う」という時にこそ実感できているということになります。
そしてこの有難いと感謝するのは、その天の計らいそのものが全て善いご縁になっているという意味で本来は使われている言葉であることに気づくのです。
そのような天意が働く言葉を用いることは、その中心に共に在ることと同じであるのです。 その根幹には、全てのものは神様が授けてくださった体験、天が与えてくださった大切な機会、そういうものであると実感しているときに活きている言霊であるということだろうと思います。
何かがあったとき、常に感謝に転じることがご縁を実感することだと思います。
天意に感謝とともに、与えてくださっている時間や人を大切にしていきたいと思います。