修行の要

人は様々なことを経験することで色々なことを感得していくことができます。だから経験するということが気づくことであり、学ぶことは体験するということに他なりません。

しかしよく周りを見渡して話を聴いてみると、経験もしたことをないことをさもわかった気になって話をしていることばかりで徒手空論ばかりを繰り返しているように思います。今のように物質的に大変恵まれた世の中に生きているということで、情報もすぐに手に入りますし、その他のものもまるで自由気ままに手に入るのだと勘違いしているかのようです。

本来の自由というのは、そういう物質的に溢れた生活に浸って生きることではなく、どんな境遇であっても己の精神や自律した厳しい日々の修行によってあらゆるものから執らわれなくなることが真の自由であろうと思います。

現代人の自由の浅はかさというのは、自分にとって怠慢であればあるほどに自由だと勘違いされています。自由には自分自身の生き方の責任が伴うということを知らないままに、物質的なものばかり与えられた中で過ごしているから次第に思い違いをしてしまったのかもしれません。

本来、精神や心というものはどんな状況であっても自由であるということができるものです。

それは真の自由は物質的なことではないからであり、自分の在り方や生き方は何ものにも執らわれないことが可能であるからです。日々に修養するのも、修行をするのも皆その自由の境地に到達したいがためであろうとも思います。

そのためには、何かのメソッドで事足りようと目先のことばかりを追うのではなく、じっくりと腰を据えて正しく実践をし、経験という修行を積むことで学び修養していくことしかないように思います。

たくさんの経験をしようと思うことこそが、素直に愚直に成長意欲を持つことなのかもしれません。物が溢れかえった時代に生きる私たちはよくよく考え直さないといけないのがこの修行という意味なのでしょう。

しっかりと経験を昇華し、精進していこうと思います。