四書の大学の冒頭にはこうあります。「大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民に親しむに在り、至善に止まるに在り。」この至善とは、一に止まるという意味であると言われます。
この一とは、何のためにやるのかという初心のままでいることを言うように思います。
しかしこれは本当に難しいことだと痛感します。人間には、感情がありどうしても感情が邪魔をして本来の心というものがなかなか表面まで出てきません。本来の心にはいつも誠があるのですが、それがどうしても相手と感情がぶつかり、また自分の感情に先に呑みこまれて本来の心のままで感情と調和していくことができません。
日々に何のためにやるのかといくら考えていても、そこに感情があるからどうしてもどうするのかになってしまい流されそうになるものです。先日も、todoではなくtobeだと、どうするのかではなくどうあるかだといくら認識してみても、よく自重し自反自省してみると日々は一進一退を繰り返しているだけでいつまでも悩みや苦しみは続きます。
この感情との調和は、常に日々に真心を籠める修行をすることではじめて成り立つように思います。悔しい思いをしながらも、苦しい気持ちを維持しながらも、それでも自分の心を大切にしようと、思いやりに生きようと決めたなら、御役に立てるように精進するしかないようにも思います。
人生は一度きりですから、色々な事件は学びになりますから当然あった方がいいと思います。しかしそうはいっても、感情が日々に波打てば眠れない日々は続きますし、調子がどこか悪いと思っている日々もまた続きます。
感情というものは、そうやって現実の世界と心の理想の世界とのバランスを維持する大切なお役目を持っているとも感じるのです。自然体になるには、まだまだ日頃からの実践を積み上げていくしかなく、道に終わりはありません。
大学の道は、自分の心の中にある素直な心を明らかにし、自分から周りに親身親切に真心を尽くし、そして初心を常に忘れない実践する自分でいるということで続く道ということかもしれません。
道に居る有難さに感謝しつつ、また今日も心と感情を澄ませて皆さんの幸せのために自分を取り組んでいきたいと思います。