昨日は、クルーの皆と一緒に遅いお花見を楽しむことができました。
都会にいても、少しだけ外に出れば緑に囲まれた素敵な公園があるのもまた都会の楽しみかもしれません。いつもとっておきの場所を用意してくださったり、素敵なシーンを演出してくださるのに天の恵みを感じる事ばかりです。
その場所はとても懐かしく、以前はお別れ会をしたところでもありました。別れを名残惜しみつつも自立していく仲間を見送り、新たな決意と共に出発した場所でもありました。そして今回は、新たな神家本家としてのスタートを切る場所ともなりました。場所というものの中に、色々な思い出が存在しそこに私たちが歩んだ青春や歴史が残っています。
私たちが生きた証というものは、どのように活きたかでありますが、これはどのような場面をどのような場所で生活したのかということと密接につながっていると思うのです。
人生が味気なく過ぎ去ってしまうものだとしたら、本当に勿体ないことだと思います。一度しかない人生、一期一会の仲間たちとの大切な時間をどのように過ごすのかは、その人の生き方が決めるように思います。
そういう思い出を飾っていくことで、人生はすでに素晴らしいものであるという実感を得ることができるのです。生死を深めてみると、生死の間がどうであったのかの方が大切だということに気づけます。
そう考えてみると、もっと大切なのは思い出をどれだけ創るか、思い出をどれだけ美しくするかによるものであると私は思うのです。一度しかない人生で、同じ目的のために回り逢える仲間というのは家族のようなものです。
その家族を大切にしていくことと、思い出を美化していくことはイコールではないかと思います。
日々は流されていくものですが、流れを楽しむ余裕とゆとりを要所要所で実感していたいと思います。
「散る桜、思い想いに、花ひらく、一睡の夢、醒めど眩しく」 藍杜静海
素晴らしい体験を有難うございました。