選択の集積

人にはそれぞれに運命というものがあるように思います。

それはその人がどのような道を辿るのか、その道がある程度決められているように思えるからです。どこで生まれてどこで育つのか、誰を両親としているか、その他、どんな性質を持っているかなどをよくよく洞察していたらやはり何らかの運命があるように思えます。

しかしその運命に対して、流されてしまえば運命に負けてしまうようになり自分の思い通り生きたとは思えないように思うのです。運命に負けないというのは、どんな運命を背負っているにせよその選択は自らが行ったということができるのなら人生を自分で切り開いている実感を持つことができるように思います。

人生を自分で切り開く実感というものは、運命に流されないで常に自らが決断して選択した連続であったという感覚と同じように思います。

たとえ今の自分が今のような状況や環境にあったにせよ、その選択は運命だったではなく自分で決めたことだと思えるかどうかにかかっているのです。

運命だからと何もしないでいたら、運命に流されてしまい人生はどこか消化不良で納得いかないものになってしまいます。どんなときも自分が決めたことだからと遣り切れば、その都度納得いくものになり人生の舵を切ったのは自分だという充実感もあるように思います。

どんな時代もそうですが、自らの境遇に嘆くのはどこか何かの刷り込みにあい流されてしまうからのように思います。その刷り込みを自らで取り除き、その刷り込みに負けないように実践を積み上げていくことで新しい可能性を切り開いていくことが人生の歓びでもあろうと思います。

常自問自答し、に自らの選択を優先していきたいと思います。