信の扉

人間は様々な困難を経て自分を自分で信じることができるようになるように思います。

先日、入園式に参加する中で子どもたちの自立に出会う中でインスピレーションがありました。

子どもが親から離れるというのは、とても不安なことのように思います。いつも見守られている存在が傍にいるという実感をどのように持つかで人は自分は一人でも大丈夫と言った安心をするからです。

しかし実際は、何から何まで身近でやってもらえる存在が今まであってそれが急になくなるのだから当然不安もピークに達します。その時、甘えられないということを自覚して自分の中に自分を信じるということが心に実感をはじめるように思うのです。

甘えない、甘えられないの間には、確かな信があり、信じるからこそ互いに自律して互いを独立した人間として認め合い自分らしい生き方へと歩みを進めていくように思います。そう考える時、自分を信じる存在があることの素晴らしさを思うのです。同時に、自分の中にそれを感じられるものが生きているものを覚るのです。

自分を信じるのに、それぞれが皆確かなものを心に留めています。それは自分への声掛けでもあり、自分へのエールでもあり、自分への戒めでもあり、その全てが信じる心となって自分が自分で生きていくための勇気となっているのです。

人は勇気を出すというとき、常に自立への扉をひとつひとつ高めていくように思います。その時、いつも扉を開いた先に何が待っていたとしてもそれは必ず善いことなると信じ行じていく実践で自らの使命を歩み道を往くのだと思います。

それぞれに開かれている互いの信の扉があることを入園式で気づきました。
師の言葉で締めくくります。

「子どもを見守ることが出来たかどうか」

できることは少ないけれど、安心して扉をひとつひとつ開いていける背中を見守れるよう自分のできることを真心で遣り切って心の信を貫いていきたいと思います。