日々は色々なことが起きていく中で気づき学び発達していきます。
何もないように見えていても、実は日々は常に成長し続けているのですから自分も同時に育っています。そこには、紆余曲折と道はでこぼこしたところもあれば、ドロドロしたところもあれば、平らなところもあれば、滑らかなところもあり、坂道もあれば、道なき道を手探りで進んでいくところもまたあるように思います。
そういう時は、遠い光を見据えて歩めと尊敬する師に導かれたことがあります。
つい、人は目先に囚われがちです。身の上の不幸や、先々に起きるだろうと思える困難を予想してしまうと不安になりそれが光を見失っていく理由になっていくように思います。
一度、そうなってしまうとどんなに春の明かりの爽やかな光が差し込もうが光を感じることができなくもなるものです。そういう時は、自分が何を決めたから今があるのかを内省し、納得してもう一度初心や原点を確認していくことで希望を持てるように思います。
今の現実が自分と思い通りではなかったとしても、実は自分の思っていた以上の善いことが起きているということもあるのです。自分本意で物事を見てしまうのではなく、理念本意で物事を観直して見透していたら実は「そうなるようになっている」と思えるようになるからだろうと思います。
天の計らいというものは、人の計らいとは異なり、自然の流れが存在するように思います。運もまたそういうもののように思います。どのような天運に導かれているのかは知りもできませんが、人として人事を尽くしていくことしかできないように思います。
いくら周囲が真っ暗に感じても、自分の心が定めた理念を遠い光の灯りに換えて歩んでいくことが希望というものだと思います。捨てない希望があるだけで、人はさらに力強く前進していく勇気を持つように思います。
子どもたちが希望を失わないよう、自らが強く前進していきたいと思います。