至善対話

人は一つの価値観が正しいと刷り込まれると、そうではない価値観が理解できなくなっていくものです。人の話を聴く訓練をしていないままに育ってしまえば、自分の思い込みや先入観だけで世界を理解しようとしてしまいます。

本来、人は様々な正しいことを持っていて一つだけの正しいことが正しいわけではありません。もちろん真理というものが一つであったとしても、それを求めて近づく方法論は一つであるはずがないからです。

それは人間がそうであるように、それぞれがそれぞれのやり方で人生を全うし体験を通じて気づいて学び、そして深める中で発達し真理を獲得していくからのように思います。

だからこそ答えは一つではなく無数に存在していると定義できるからです。次第に私たち人間が成熟してきたならばより一層真理に近づいていくように思います。当然、その間には欲望なども偏ってきますから世界は渾沌としているように感じます。

同時に一つに向かうのですから、世界の中にある沢山の正しいことを合わせて至善、至誠、至福といった最も融合した場所で調和を求めていく時代に入っていくであろうと思います。

そんなに遠くない将来、きっとそのような時代が来るであろうと私は予測しています。だからこそ子どもの頃から、対話を通して常に善悪調和の真の善を引き出していく訓練、体験を積み上げてそういうものが可能であることを自信しておく必要があるように思います。

子どもたちのもともと持っているものの中には、思いやりや真心がそのままに存在していてそれをあるがままに認めながら対話ができれば新しい世界を必ず創れると信じてあげることだと私は思います。

その信念が、今の教育者には必要ではないかと私は思うからです。

人を信じるということはとても尊いことだと思います。何度も何度も繰り返し行われる出来事を通して、じんかんの中にある至善を体得することもまた私たちの使命なのでしょう。一つでも多くのご縁から思いやりを引き出していけるよう自らが実践し精進していきたいと思います。