自他との対話

人は自分の人生を生きているつもりでも、気が付けば人に流されてしまっているということがあります。色々な人がそれぞれに信じているものがあり、それを正しいと思い込んでいるからこそ自分が自分で考えないで生きていけばすぐ他人の正しいに乗っかってしまうのです。

人間は、誰もその人本人に代わってあげることはできず、本人の人生は本人で全うしていくのが人間です。誰かに決めてもらったり、誰かに依っていては主体が自分ではなくなってしまうのです。

特に、自分が病気で弱っているときや、気持ちに不安があればすぐに他人の正しいに持っていかれそうになるのもまた人間だと思います。だからこそ、考え続ける習慣を持つことが必用で、何のためか、本質は何かと常に主体を自分で維持していくことが信念を醸成していくことのように思います。

人の話を聞かないとよくないからと、信念を持たずに聞くのは当てにしていることになり、人の話を聞けばいいと信念を持たずに聞けば流されていることになる。だからこそ、常に主人公は自分であると自分が正しいことは何か、本質は何かと常に維持することでバランスを整えることができるように思います。

幼い頃から、誰かの正解を刷り込まれ信じ込まされてきた私たちは正しいことは集団の理論であったり偉い人や権威がある人、または前例主義のように今まであったものが最も正しいものだと信じ込まされてきています。

しかし人生は答えはなく、常にその人の信じた生き方が答えであるからこそ、その答えを求めて自らが考え抜き自分の人生を真摯に考え抜き遣り切っていくしかないのです。答えのない人生だからこそ、この答えのない世界だからこそ「自他と対話」して歩んでいくことがもっとも正しいことに近づくことだと思います。

そうしていくことが信念を揺るぎないものにし、納得のいく満足した人生であったと実感するのです。人の幸せは、魂が望んだままに達成してあげるために運命を与えられ、心を磨き、ご縁を紡いで観妙を実感することにあるのかもしれません。

自他との対話は場所を問わず時間を問わず何処でも行えます。
一度しかない人生を謳歌していくためにも、正対していきたいと思います。