先日、宿泊した先で小学生のある作文を拝読する機会がりました。
プリントしたものでしたが、そのタイトルが「うちの家はみんな悪い」と書かれていたので、何だろうかと思い読み進めました。平坦な文章ですが、謙虚さについて考えさせられる素敵な内容でした。
「うちの家はみんなが悪い 」
きょう私が学校から帰ると、お母さんが「お兄ちゃんの机を拭いていて 金魚鉢を落として割ってしまった。 もっと気をつければよかったのに、お母さんが悪かった」と言いました。するとお兄ちゃんは「僕がはしっこに置いておいたから、僕が悪かった」って言いました。 でも私は思い出しました。きのうお兄ちゃんがはしっこに置いたとき私は「あぶないな」って思ったのに、それを言わなかったから、私が悪かった」と言いました。 夜、帰ってきてそれを聞いていたお父さんは「 いや、お父さんが金魚鉢を買うとき、丸いほうでなく四角いほうにすればよかったなあ。お父さんが悪かった」と言いました。
そしてみんながわらいました。
うちはいつもこうなんです。
うちはいつもみんなが悪いのです。
調べると、『本当の自分』(高木善之 著、『地球村』出版)ので紹介されているようです。
私たちはどうしても、自分を責めたり相手を責めたりして本当は自分の方が変わらなければならなかったということを避けようとします。本来は、自分が気づけば善かったことを自分は気づいていたけれど反省しないということが多いように思うのです。
自分の方が悪かったと思うのは、その事物や事象に対して反省できる謙虚さがあるからのように思います。そうやって、人々がみんな相手を変えるのではなく自分を変えようとしていけば作文のようにみんなでわらうことができるように思います。
相手が変わるまでは自分は変わらないと頑固に決め込んでいることもたくさんありますが、それが自我を助長し傲慢な生き方を拡大していくのかもしれません。作文の子どものように、大前提として感謝の心を根っこに持ち、素直に反省し、謙虚に謝ることができれば学びはより深く掘り下げていくことができるように思います。
当たり前のことすぎて忘れてしまいますが、「ごめんね、すみません、許してね、気をつけます」といった謙虚な言葉をもっと大切にしていきたいと思います。