健気の香り

健気という言葉があります。辞書でひくと「年少者や力の弱い者が、困難や苦難などに立ち向かって、かいがいしく立派に振るまっており、それが立派でほめるべきさまであること」(小学館類語例解辞典より)などと書かれています。

健気というと、昔、山下清の「裸の大将放浪記」という番組で流れていたものを思い出します。野に咲く花のようにという歌の中で使われていました。

「野に咲く花のように風に吹かれて
野に咲く花のように人を爽やかにして
そんな風にぼく達も いきてゆけたらすばらしい
時には暗い人生も トンネルぬければ夏の海
そんな時こそ野の花の けなげな心を知るのです

野に咲く花のように雨にうたれて
野に咲く花のように人を和やかにして
そんな風にぼく達も 生きてゆけたらすばらしい
時にはつらい人生も 雨のちくもりで また晴れる
そんな時こそ野の花の けなげな心を知るのです ルルル・・」 (ダ・カーポ)

天気がどんなであっても日々がどんなであっても、自分らしく自分のままに生きていこうとする健気な姿が美しいという感じでしょうか。

それが報われようが報われまいが、自分の徳性を精一杯自分のままに出し切っていくという天真爛漫で無邪気な真摯な姿に共感するものが野の花にはあるのかもしれません。そしてその花を見て元気になっていく自分が同時にあるのかもしれません。

生き方というのは自然を通せば、正しく観えるように思います。人間はつい頭でっかちに考えてしまうので、色々と余計な疲れが出てしまうように思います。自分のままでいればいいと思ってみても、実際は人の目を気にしてしまい人間関係に疲れてしまいます。

そういう時には、自分のままでいることを大事にしていけばいいように思います。つまりは自分らしくいることを優先していくことのように思います。

何かを変えなければいけないと思い込めば、人は自分に合わないことを無理してつくるというのは自分ではなくなるということかもしれません。つくるということで相手もつくりますし、演じれば相手もまた演じるようになります。自然の中で自分のままでいてもいいと思えることほど安心するように思います。そう思えば、野に咲く花のように自然に生きていくことに学んでいくことのように思います。相手にも自分のままでいいのですと安心できるような優しく思いやりのある言葉や心を伝えられる自分でありたいと反省することばかりです。

今朝も、ベランダのガーデニングから爽やかな風とともに美しい花の健気が香ってきます。このままの自然、自分のままの幸せを味わっていきたいと思います。