本当の当たり前

人は教育により、考えない時に教え込まれたものが刷り込みになって生涯残ります。

もちろん幼少期より、考えずにそういうものだと教え込まれたものは人間は一切考えようとしなくなります。これは当たり前だと教え込んでおけば、当たり前のことには気づかなくなるのが生きもののように思います。

それをいちいち深めて掘り下げていけば、本当は何かに気づけるのですがそのためには物事の本質を観続けるような考える実践が必要になるのです。

そういっても考えるといっても、その基点が刷り込まれた場所で考えていたらどうしても本当の問いができなくなってきます。本当の問いは、刷り込みのないところで考えていく必要があるからです。

それには一度、自分から進んでバカになる必要があるようにも思うのです。

知識を蓄え、経験を積み、本当にそれで頭が良くなったのかと疑問に思う所から考えてみると意外と実際は思い込みでバカになったのではないかとも思われるのです。なぜなら、分かるはずのものが分からなくなり、当たり前のことが当たり前に考えることができなくなったからです。

この思い込みの罠に引っかかり、どうしても人の話が聴けなくなったことが本当のバカになったということではないかと思います。そうならないように、自分から本当にバカなのは自分だと、周囲や今までの思い込みに持っていかれないように自分から気づき考え続ける習慣がこれからは必要だと思います。

そういう私も、生活の刷り込み、会社の刷り込み、社会の刷り込み、国家の刷り込み、当たり前と思ったものを疑わずに苦しんでいることも沢山あります。何が子どもたちのためになるのかを考え抜いて、それをカタチにしていきたいと思います。

当たり前だと思い込んでいるものは本当に当たり前なのだろうか。

この問いに、挑んで子どもたちの幸せを考え抜いていきたいと思います。