世間一般的に、人は競争することで成長するということを求めて勝つか負けるかという二択で考えているものです。しかし、勝つか負けるかというものを軸に物事を考えれば、勝てばいい、負ければよくないということになってしまいます。
これは何かと比較競争するときに用いる価値観ですが、そうなればどこかを基点にしてそこから下が負け組でそこから上が勝ち組であるという発想です。
その基点をどこに置くかで熾烈な戦いをさせようとする外部からの意図もそこにはあるものです。その競争を仕掛けたものがその競争の中で得たいメリットを享受できるからともいえます。もちろん、それを否定するわけではありませんがこれらのことは子どもの頃から遊びとして私たちの生活に根差しているものです。
しかしその遊びは、何を目的にしているか、何を目指しているかでまた変わってくることのように思います。遊びを競争するのも、遊びを協働するのも、良し悪しではなく、それが何のためにあるのかという判断基準が明確であるかどうかが大切なのです。
本来のどうあるべきかを考えてみると、もしも個々のやりたいこと、その使命を遂げさせたいとその人の幸福そのものに基点を置くならば勝つか負けるかではなく「成長」したかということになるように思います。
結果論として成長した証として勝つのですが失敗が悪いものにならないのです。失敗とは、何をすべきで何をすべきでないかを学ぶということです。そう考えてみると、体験や経験を通して人は学び、それは勝つことも負けることもすべて成長したということになればいいのです。
成長戦略というのは、成長することを優先するということでありそれに尽力し遣り切ることではじめてその結果としての勝利があるように思います。教える側や身近な周りの大人が何を目指すかで子どもも如実にその価値観がしみ込んでいくものです。
本来の生き方がどうであるか、何をすることがもっとも社会に貢献できるか、よくよく考えてみると成長を選ぶということが体験を学ぶことでありそれがこの世に生れ出てきた価値のように思います。
全ての植物も動物も昆虫も、勝ち負けをしているのではありません。
彼らはみんなそれぞれに成長しているだけなのです。
自然を見習い、真摯に生きて、尊い体験から真摯に学び、成長していきたいと思います。