子育ての方法について不思議なことを発見します。
全ての生きものは、本能というものがあり誰が教える事もなく自らで出産し自ら育児をしていきます。教えてもらって知った育児法と、教えてもらわなくてももともと備わっている育児法があります。
教えてもらっていない育児法は、私たちが元々知っている知識です。教えてもらったほうは元々知っていたけれど忘れてしまった知識ともいえます。
つまり私たちは知った知らないではなく、もともと知っているものを忘れただけか知っているから知ろうとしないのかというのが本来の知識であろうと私は思うのです。
そういう忘れ去られたものをもう一度、この世の中に可視化していくことはとても大切ではないかと私は思うのです。
例えば、自然から学ぶものも当たり前すぎて誰も気づいていませんがそういうものを一つひとつ人が観えるようにすることで発明だとか発見だとか言われるものです。
自然の観察眼が磨かれれば、次第に新しい発見は増えていくように思いますから今の世の中の発見は全てあるものを再発掘しているだけとも言えるのです。
しかしそれを観るためには、本能にアクセスするような元々あったものと対話ができなければいけません。それは直観とも言われ、そういう直観を磨いていくことでより一層、今の世の中に必要な材料を自然から探し出すことだと思います。
あらゆる知識が増えて、あらゆる知識に制御されるこの時代に、そのように刷り込みが取れている人にめぐりあうのも稀だと思いましたが、子どもを観ていたら育児を考えていたらそれはとても自然な行為なのかもしれません。
動物の本能や子どもの自然の姿に、どのように生きてきたか、どのように生きようとしたか、どのように生きていきたいか、それを実感するのです。尊い知識に触れられるように、実践により知識の削除をより強めていきたいと思います。