植村直己を調べていくことで、新たな一面を知っていくことができます。自然へ安らぎを求める人は、どこか人間社会では理解されにくい一面を持っているように思います。
周りから見れば、当たり前のことであっても自然美が分かる感性があるということはそれだけ繊細で神妙な心を持っているということです。それにそれだけ独自性がある人は、そのもので価値が光っているものです。
そういう人たちが、今の社会で生きていくのは本当に難儀なことではないかとも思います。それは軽度発達障がいの子どもたちや、特殊な個性を持つ子どもたちの扱いがあまり平等ではない現場をみると実感します。
自分が何をもって貢献するのかというのは、人々の人生のテーマです。
ひょっとしたらその人の本当の仕事は、今の社会にはまだ存在しないのかもしれません。
しかし昔は、そういう個々の使命を温かく見守り大切に緩やかに育ててきたようにも思います。
人はそれぞれに大切な唯一無二の役割がありますから、それを一部の大多数の社会の柵の中で歯車にして潰すということはあってはならないことのように思います。そういうゆとりと余裕こそが、新しい人たちへの夢と希望を譲る道になっていくからです。
天は二物を与えないといいますが、それぞれにその人の持つ個性はその人にしかなく、それを存分に発揮して世の中に貢献できる道もまた考えていきたいと思います。先般、オランダに訪問した際も日本の数倍の職種を国家が認めていて、大切な職種は守ろうとする思いやりがありました。これも個性を大切にしてきた教育の将来が社会に反映されているのです。
経済ばかり効率化ばかり、そして目先の損得ばかりを優先すれば本当の人財はこの国では活かせなくなるようにも思います。人権や民主主義とは言いますが、その実は数の論理で長いものや大きいものには巻かれろというように、要所要所に罠があるように思います。その古い慣習や人々の固定概念、新しいものへの嫉妬などが邪魔をしては子どもの心は動けなくなります。
私はこれからの世界にはより一層、多様な職業、色々な仕事があっていいと思います。そしてそれらが受容できるように、それをやってもいいという大人のモデルが子どもたちにはこれからはますます必用に思います。
自分の好きなことを仕事にしていく力が、まさに今の時代には求められているように思います。
その意義を伝えるためにも私はいのちを懸けています。
「ようやく此処まできたのだ、負けて堪るか」と真摯に弛まず諦めず、反骨精神を持って新しい世界へ挑戦していきたいと思います。