人間というものは、真理を知っているからと人生が変われるわけではありません。人生を変えようとするならば、自分の中にある刷り込みを取り除くことが何よりも先であるのです。
その刷り込みとは、知らずしらずにうちに自分の中では正しいと思い込んでいるもののことです。
例えば、過去に誰かから教えられたことを鵜呑みにして何かを怖いと思っていたらいくらそれが安全な事であってもその人にとっては危険なものであり、何かを判断する際、自動でその選択肢から危険を避けようとして判断が歪んでしまうのです。
判断の歪みというものは自分では気づくことができず、歪みはいつまでも変わることはありません。その歪みは自分では間違っていないと思い込んでいるのですから、いくらそれを指摘しても気づかないという仕組みになっているからです。
ただどうしても前に進もうとするときや、それを避けては通れないときがあるのです。
それはどのような時かといえば、人生を変えたいと強く願う時のように思うのです。
自分ではこれだけやっているのになぜか前に進まないときや、壁を乗り越えられないとき、もしくはどうしてもうまくいかないと思う時、それは実は人生を変える時だということです。
人生を変えるには、自分と向き合わなければならず、その時は、自分の持っている大前提の刷り込みと正面から正対しなければなりません。それは鏡で自分のありのままを直視するように、もしくは誰かから指摘されたことを素直に聴き入れるように、あるがままの姿が何かを受け容れる必要があるのです。
つまりまず刷り込みに気づくということが最初の難関なのです。
この最初の難関は、素直でなければ超えられません。今までの常識や先入観を疑うのですから、真実に気づくためには自分の都合が入ってはならないのです。真実がいくら身近にあっても人が変わらないのは刷り込みが取り除けないからです。
これだけ先覚者たちが言霊や遺志を遺してくださっていても人間が変われないのは私は刷り込みによるものだと確信しているのです。そして人生が変わるのは、刷り込みに気づいてそれに打ち克つことが全てであると信じているのです。
悔しい思いも、悲しい思いも、辛い思いも、すべては素直へと通じる一本道です。
身近な人の死が改めて教えてくれたのは、刷り込みに向き合う尊さでした。
最後に、御礼参りに伺った祐徳神社のご縁にて素敵な文章をいただきました。
「素直になれば、態度が変わる
態度が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、運命が変わる
運命が変われば 人生が変わる 」
もうずっと前から本当のことは分かっているのです。
みんな本当はずっと前から変わりたいということは分かっているのです。
それを変えてあげるお手伝いをしたいと願っていても、変われないことばかりです。
そんな時は、いつも魂が疼き、この刷り込みに打ち克つ真の強さが欲しいと願ってなりません。人間の未来のためにも、真の伝道のためにも、正面から刷り込みを取り除く仕事にいのちを懸けていきたいと思います。子どもたちには子どもの姿を保障する私たちの刷り込みのない存在が、先祖伝来の宝をそのままに引き継ぐことになるのです。
そして学ぶべき至善の真理は、生身の実生活にしてこそ本来の真理です。
現実の真っ只中にあるこの今こそが真理です。
ご縁と教えに感謝いたします。