約5000年前くらいまで遡れば、世界では様々な文明が発展していました。エジプト文明やメソポタミヤ文明、黄河文明、インダス文明など四大文明をはじめ、その他でも大小の文明が発展していました。
文明とは何かと言えば、「人知が進んで世の中が開け、精神的、物質的に生活が豊かになった状態。特に、宗教・道徳・学問・芸術などの精神的な文化に対して、技術・機械の発達や社会制度の整備などによる経済的・物質的文化をさす」(goo辞書)とあります。
日本では縄文文明とも言えるものが、青森の三内丸山遺跡の発見により見直されています。気候の変化にあわせて、人間は大移動をしてきました。それは食べ物を求めての旅で、その気候と風土に恵まれた場所で長い時間を生活できたのです。
もともと少しでも今よりも善い環境を求めては、新天地を開拓しながら歩んできた歴史があります。その最適な場所も、1000年単位で時間が経てば住みにくくなりまた新しい場所へと移動するという具合です。
現代の私たちは、様々な科学の発展により電気から石油、ガスなどの資源を用い、環境に左右されずに生活できるような便利なものを開発してきました。そのことで多少の環境の変化があっても、工夫してその場所で生活できるからこそ人口が増加しているともいえます。
ムラやクニという単位をどこまで広げていくのか、そしてその関係をどう他の国々というまとまりと交流し交易し維持していくのかは、かつての人達から学ぶものも多いように思います。
しかし今は圧倒的に人口が増えて、食糧が確保できているから成り立つものもあり、もしも食糧がなくなれば場所を移動しだすようにも思うのです。この縄文文明も、その終焉は気候の変動であったと推測されています。
次第に寒くなってきて、栗や果実の実がとれなくなり次第に暖かい場所へと求めて移動したともいうのです。かつてが、どのような気候であったのかはわかりませんが地球は生きているのですからこの先も環境の変化は已まないのでしょう。
気候が常に変化していくように、時代や時流も常に変化しています。この先の未来がどのように変化するのかは、この今をよく注視し、歴史や文明の辿った経過をよく観て確かめ、順応していくことがいいように思います。
貧しい時の集団の助け合いと、豊かな時の集団の助け合いの持つその意義をみつめ、本来の人間が何を規範として長い年月を暮らしてこれたのか、まだまだ調査していきたいと思います。