零戦(零式艦上戦闘機)の設計主任として有名な堀越二郎という人がいます。戦後は、航空機づくりが禁止された日本ではあまり知られなくなったのかもしれませんが、宮崎駿さんの映画でまた今の時代に広く知られたように思います。
堀越二郎さんが居た頃の日本は、航空技術は世界より大幅に劣っていると言われていました。マラソンで言えば、2周も3周も周回遅れしているところから走りだしているというように今さら追いつけるはずがないと思われていたものです。
それを一気に追いついただけではなく、西洋でも理解できないような独創的なアイデアと技術で周囲を凌駕し最先端に躍り出るのです。まるで、うさぎと亀のレースに気が付けば亀に羽が生えて飛んでくるようにうさぎにはびっくりしたものでしょう。
これは私も同じ信条で、2周も3周も遅れたものを真似しようなどとは思ったことはありません。今さら真似をしてただ必死で走っても、向こうも必死で走っているのだからそう簡単に差は縮まることはありません。
しかし、創造力でそれを補えば一瞬にしてその場所まで追いつけるであろうという確信があるから遣る価値があるのです。私は、それをシンプルさの中に見出します。例えば、どんなに凄い技術があったとしても実績があったとしても、その元になっているものは必ず同じであるはずです。
鳥をモデルに航空機を創ったのであれば、その元になっているのは鳥の自然美であるはずです。そういうものをどれだけ観察して現実の技術にまで昇華するかはその人の観察眼と、審美眼、また具体的にそれを具現化する錬磨と直観によって行うものです。
もちろん視察をすることで、本来、周りの人たちがどれくらいのところまで技術を発達させているかを感じることは大事ですがそれを創造するのは自分でなければならないのです。
以前、教育も日本のものは3周遅れだとある人に言われショックを受けたことがありました。しかしだからこそ、独創的なものを創造し、世界をアッと言わせるものを生み出そうと覚悟するのが本当のものづくりをする者の魂だと私は信じています。
私達の国は、過去にも何度も他の文明が流入してそれを組み合わせて和合させてきました。聖徳太子が神道仏教儒教を合体させて国の理念を決めた時のように、私たちも今の時代のものを単に真似をするのではなく日本人としての誇りを持ってそれを合わさったものを自ら発して生み出していかなければ先祖にも申し訳ありません。
どんなことからも学び、どんなことも自分のものにしていく、そしてそれを自然の高さに限りなく近づけて清々しいものまで昇華していくことが日本美ではないかと私には思えます。
ものづくりとは、況や自分創り、人生創りそのものです。
自分が目指したことが、自分のものとなるのです。
妥協などはあってはなるまい、必ず同じところ、必ず繋がるところがあるはずだとかんながらを信じることが真の大和魂です。
日本美の商品を開発し、子どもたちの未来や世界へ貢献していこうと思います。