発展経過の体験

久しぶりに以前見たものを思い出し、その差を実感するのに「発展」というものがあります。この発展の「展」という字は伸びるや開くという意味があり、以前にも増して広がっていき高まっていくという言葉です。

例えば、中国の訪問でも気づくのですが以前私が留学していた18年前と比べてその量が変わったことはすぐに分かりますがその質も高まっています。それは建物だけではなく、文化、人間性、全てにおいて成長しているのです。

以前と比べて建物が建設ラッシュで創りつづけているのは同じです、しかしその質を観れば明らかに技術は進歩し、センスも高まっています。他にも、洋服から生活、文化、思想にいたるまで質が高まっていくのです。

この場合の質とは、洗練されていくというもので発展するということは同時に全てのことが磨かれてより高度なものを生み出していくという意味です。

人間の成長というものは、より質を高めていこうとするところに発展があるように思います。発展しているかどうかを観察するのは、量の方ではなく質を視るということです。

質が高まるというのは、どれだけ洗練されたか、どれだけ高尚になったか、時代の中でその人が磨かれ技術が磨かれ心が磨かれるというように確かな変化になった証なのです。

成長とは何回も同じことをしているようでも、以前よりもどれだけ質を高めたか、それは揉まれて練られて洗われるように一つ一つを開いていくことに似ています。

発達を実践するのに私たちもよく「DOSEEPLAN」でと言いますが、この発達の本質とは一つ一つの物事をよく観てそれをどう発展させたかということに尽きるように思います。そしてそれを促すには、「遣り切ったこと(DO)をよく反省(SEE)し改善(PLAN)する」ということで実現できるように思います。

何でもあの当時は無理だと思っていたことが、この国に来て実現しているのを観てやはり遣り切った後に確認することが大切であることを改めて実感しました。常に発達は「今は無理「と思えることが後で「実現可能」になっていることの連続なのです。今だけを見てすぐに諦めるというのは、発達を自ら先に否定してしまうということになるのです。如何に自分を信じ切るか、今が不可能でも今を念じて質を高めていこうとするのが、発達をし続けていく根本姿勢なのでしょう。

来ているものをどのような道に開いていくか、そしてそれをどう展じていくかは常に質を高める創意工夫こそによるように思います。量を与えてもらえる機会に感謝し、その全てを質に転じて生長を楽しんで見守っていこうと思います。