昨日はある園で理念の確認をひとつひとつ行う中で、目指す子ども像についての話をしました。
子ども像というものは、未来の大人像のことであり、それは今の大人たちの課題になっていることや自分が生きてきた社会の中でとても大切だというものを子どもの時にできる限り体験させてあげたいと願う項目です。
そこには、思いやることができる子どもや、自分を大切にできる子ども、心身共に健康な子ども、豊かな心を持てるや自信を持てる子どもなどがありました。
その一つ一つをよく観てみたら、子どもを人に換えればいいだけで今の私達が人生で学んでいることと同じです。人はいくつになっても、社会を学び続けます。事件を起こしては、それをどうすればいいのかを共に考えて共に反省し、共に気づき共に乗り越えていこうとします。
いつの時代も、人は社会を学ぶ事に余念なく常に社会で学び続けているから存続しているのです。
人間は一人の大人として成長していくのに一つ一つ大切なことを学んでいきます。それは幼い頃から齢をとるまで何回もその機会に恵まれます。そうやって少しづつ出来事という尊い経験を通じていつまでも社会で生きていく力を身に着けようと学び続けるともいえるのです。
そしてその尊い体験とは、体験の周りにいる人たちの関わりによって変わっていきます。例えば親がいれば、体験したときに何をどうみてくれたかを実感し子どもは安心します。それを沢山持てばもつほど大人になったら社会を信頼し、安心していく中で自他を役立てる有効な人に育っていきます。
そうやって社会を実感することが人の幸せとも言えるように思います。
親はいつも子どもに体験をさせてあげながらそれを天と同じように見守り信じて学ばせるのです。
その子は見守られた体験を実感しながら巣立っていきます。子どもが巣立つとは、自分が一人で社会に出ても常に周りが見守ってくださっているのだからそのような見守りの社会を自分も独り立ちして共生していこうということを自分が実践していくということです。
体験し合う中で、その間に流れている大切な道理を学び、自然の理法を習得し、そうして人間という社会を生きる、宇宙の偉大な循環の一つになっていくのです。だからこそ私たちは常に体験を尊び、体験から学び、その体験を伝えていくことを怠ってはならないと思います。
そしてこれからも先も子どもたちが安心して社会で生きていけばいいかを学ぶためにも、先人と後人の間にある絆を結んでいくことだと思います。
このように社会を学ぶということは、共生や協力、生き残ること、親心や自然を学ぶということだからです。畢竟、保育や教育に観られる「育」という字は、活きることを行うということだからです。
その絆がいつも清らかであるように、愛があるようにと自らの実践を高めていきたいと思います。社会を見守る人たちを一人でも多く育てていくことが、人間愛の本質かもしれません。これからも絆を忘れないでいようと思います。