夢の価値

本田宗一郎氏の遺した言葉に「理念なき行動は凶器であり、 行動なき理念は無価値である。」があります。これは本当に的を得ている言葉であろうと思います。

そもそも人が何かを行うのに目的というものがあります。それは何のために行うのかという理由です。そしてそれを達成するのに手段があります。これはどのようなことで行うのかという方法です。

そして目的とは言い方を換えれば、その人の夢とも言えるものです。もしも夢のリーダーがその夢を持っている人たちに対して理念を立てずに行動だけを指示するならばそれは周りの人の夢を壊す凶器にしかならないというように私は思います。

またその手段としての今の自分が夢を実践していかなければその行動は何ら価値を生み出しているものではないとも私には思えます。この時の手段というものは、その与えられた場所で最善を尽くして夢を遣り切るときにはじめてその行動に意味が吹き込まれるからです。

理念と行動そのものが夢であり、夢とは理念を立ててこそ実践してこその夢なのです。

例えば、ある人の人生の目的が「感謝を伝えたい」とするとします。その手段は、看護婦であってもスポーツ選手であっても、会社員であっても、お坊さんであっても、与えられた尊いご縁のある自分の場所でいいのです。その与えられた場所で、自分が何の目的を持ち、それをどのように具体的に実践していくかということが何よりも大切だということです。

以前もブログで書いたと思いますが、夢というものは単なる手段に辿りつくことではありません。よくサッカー選手とか芸能人とか、社長とか、何かになったら夢が叶ったといいますがそれはただの結果の一つにすぎず本来の夢とは「目的を達するそのプロセス」のことでありそれが何かの手段によって形になったということを夢の実現というのです。

そう定義すればあの夢を諦めないという言葉も、夢を信じるという言葉も、それは初心を忘れないという意味と等しいのです。

人が何のために生きるのかを思う時、そこには必ず理念というものがあります。その理念は、その人が生きていける生きている理由でもあります。それを今在るところで精一杯行動していけばそのものそれが夢の価値を生じていくのです。

日本の持つ精神的な美学は、この全てを懸ける本気の生き方。働き方と生き方の一致にこそあるようにも思います。夢というものと現実を重ねあわせて生じる価値にこそ次世代へ継承する価値があるものです。

夢そのものが価値なのは、理念を実践するときに感じられるものです。
夢を信じて、夢を実践し、夢を顕現する日々を味わっていきたいと思います。