同体験をするということは、体験からお互いのことを理解するということです。
人は体験を通して気づくのは、感覚があるからです。この感覚とは、全体の意味を深く捉えることができる力とも言えます。そうやって体験というもの中には、五感や六感と言われる直観を用いて知らずしらずに本質を捉えているのです。
例えば、同じところで同じものを食べて同じものを観て同じ場を共有するとします。すると、そこで見えたものは個々で異なっていますが感覚は同じものを捉えているのです。美味しいものを食べれば、それぞれが何か美味しいと感じるか直観しますし、同じ場で感じた自然の雰囲気なども誰かがそれを発するとすぐに他の誰かも直観で理解できるからです。
つまりは感覚というものは直観とつながっていて、その感覚を同じく体験することで頭ではわからなかったことが丸ごとお互いの感性のところで通じ合っていくのです。
それに同体験には、思い出の共有というものもあるのです。
人は思い出を共有することでその人を自分の中でつながりを実感するものです。共に何かをした記憶そのものの中に、互いの芯が生まれそこを合わせることで互いの信頼関係の基が築けるともいえるからです。
そして共に体験した記憶は、思い出せなくても自らの感覚がいつまでも覚えているものです。
だからこそ、共にあることを実感できる同体験を大切にすることが共生するということになるのです。その体験一つ一つの尊さに気づき、その体験に如何に価値を与えるかはその体験を高め、その体験を学び、その体験を楽しみ味わうことが大切です。
二度とない同体験だからこそ、そこに確かな絆があり一期一会の邂逅があるということ。
つい同じところに居て同じことをしているだけのような日々に流されそうになることがありますが、些細な小さな出来事ひとつひとつがとても尊いことを改めて実感します。
面白いことや楽しいことだけではなく、辛いこと哀しいこと、そして寂しいことも全部丸ごと自らで同体験することが人とのつながりや信頼、そして豊かな社会を築いていくのです。
自ら体験を昇華し、同じ体験をできたことに感謝していきたいと思います。