人には毎日、様々な機会が用意されています。
それはそれだけの体験が用意されているとも言えるように思います。一人一人の人生があるのは、その人にしかないその人らしい人生を用意されているということがここから分かります。
人生というものは、その人のものでありその体験がその人の人生とも言えます。
学校というところでは、答えを先に教えてその答え通りになることが良いことであるかのようなことを勉強します。本来は、先に体験をしてその体験が何であったか、その体験から何を学んだかということを使って様々なことを共に身に着けていくための学習をするものです。
本来の学びを、人生と定義するのか、勉強と定義するのかが異なっているのです。
もしも勉強をするために勉強をするのなら、結果ばかりを気にして良い結果がでるためだけに先に知識を得てはその知識を持っているかどうか使っているかどうかが論点になってしまいます。
そうなると、ちゃんとやったかどうか、ちゃんとやれたかどうかが判断の基準になります。仕事でも何でも、やったら終わったとその後の改善をせずそこで満足して中途半端になってしまうのはこの結果さえ合っていればいいという価値基準が刷り込まれているからかもしれません。
しかし人生ではどうでしょうか。
人生では、ちゃんとやったかどうか、ちゃんとやれたかどうかではなく、その体験から気づいたものは何か、その体験から学んだ経験は何だったのかを実感することが基準になるのです。その上で、如何により善い体験まで昇華していくか、その体験をより意味があるものに発展させていくかに価値基準が変わるのです。
そう考えてみたら、結果ばかりに囚われるよりも体験してみたいという好奇心やチャレンジ精神の方がより人生を楽しくしていけるように思います。なぜなら、せっかく一度しかない人生、一度しかない今、一度しかないこの機会、体験しないと「もったいない」からです。
遣る前にある程度予想して、きっとこうだろうとか、こうなるためにどうしようかとか、事前に調べすぎてそこそこの無難な結果に満足するよりも、尊い体験をさせてもらうのだからその一つ一つを根こそぎ学ぼう、この機会を活かそう、つまりは「もったいない人生を味わおう」と開き直った方が真に学べるように思います。
体験から学んだことは、本当のことです。
その体験から学んだからこそ、学びが楽しくなり、師友とのご縁にも、また自分の人生にも感謝できるように思うのです。すべての時間、すべての人生を、全身全霊でいるときがもっともいのちも輝き幸せを実感できるように思います。
もったいないからこそ、さらなる日々の体験を楽しんで生きたいと思います。