ご縁に包まれる

人は感謝や有難いという気持ちを忘れてしまうと頑固になっていくものです。

この頑固というのは、自分の考えに固執してしまい他人の言うことを聞けなくなることをいいます。頑固さというのは、どこから来るのかといえば自分にとって当然というように思うことを言います。

この当然という言葉は、自分はここまでしているのだからこうなるのは当然だというような傲慢さからくるものです。本来、当然というものはなく、今の自分に置かれている全ては当たり前のことではないことに気づくことが本来の意味の当然に気づくことになるのです。

それが単に自分の分け前はこれくらいあって当然というのは、その努力は感謝から来ているのではなく自分の都合で見返りを求めて行われてしまうことが多いのです。

本来、報恩や感謝というものは、こんな自分をここまで大切に育ててくださっているものは何か、こんなにいつも大切に善くしてくださっている存在は何かと、自分を自分たらしめている全ての見守りに有難いと実感している状態の時に行うものです。

こんなに頑張っているのにとか、こんなに尽くしているのにとか、自分が報われていないと思うことから頑固さが強くなっていくように思うのです。与えてくださっていることに気づかず、相手に求めては手に入らないことを嘆くよりも自分が今、あるのは何の御蔭か、全ての機会を活かさずば勿体ないと素直に自分を変えようとすることが柔軟性とも言えるものです。

柔軟性というのは、大切なもののためには自分の方を変えてしまおうとする姿勢のことです。姿勢が頑固で自分が正しいと周囲を変われと矢印を向けていても何も変わることはないのです。より周りを頑固な自分に合わさせるだけで、自分自身はいつまでもそのままで停滞し澱んでいくだけなのです。

まず頑固さの根がどこにあるのかを自覚しないといけません。そのためにはやはり素直に聴くことから始めていく必要があるように思います。もちろんただ何でも聞けば素直かというわけではなく、ご縁ある全ての人や言葉に感謝し、その意味を真摯に真心で受け賜らせていただきますという人生の体勢から学び直すことのように思います。

よく観てみたら、当たり前などはなく全て有難い奇跡の中に自分は生かされています。その有難いいのち、ご縁を勿体ないと心底実感するとき、より活かしていくのは自分ではないかという素直さが顕現してくるように私は思います。

どんなに気づかないような小さな虫でも雑草であっても、大切なお役目をもっています。祖の御役目をそれぞれが感謝しているからこそ、大切な使命を世界の中で役立てる歓びもまた知っているように思うのです。

人生の幸不幸は、自他の存在の当たり前ではないご縁と繫がりに気づくことにあるのです。

一日を内省しているとまだまだ聴こうとすれば聴ける自分がいます、この有難い学びを深めていける日々に感謝の念をいつも抱きつつ、自分の方の姿勢から常に正していきたいと思います。
いつもご縁を思う時、心が感謝に包まれます。
ご縁に包まれていることが幸せです、尊いご縁を有難うございます。