遣り切る

人は自分の遣りたいと思うことの本当の意味を理解するのにかなりの時間がかかるように思います。

それは、人生は遣っていく中で次第に近づいていくものだからであろうと思います。最初は目で見ているものに憧れます。その憧れからはじめてはみるもののそれは思っていたものと違かったのではないかと思うのです。

何でもそうですが、人生でやってみたいものがあったとしてその本当の味わいや意味を実感するのは遣り切った後なのだから全部時間差があるのです。

「陽のあたる教室」という映画があります。この中で主人公のホランドという先生が最初に音楽を志した時のことを話すシーンがあります。そこでは、「最初にそのレコードを買ってきたときは拒絶してしまった、しかし何度も何度も聴いているともうこれなしでは生きてはいけないほどになった」と語っていました。

またその音楽教師になり、後に退職する際には自分がバンドマンになりたかったのではなくそのレコードの音楽の人物のように最幸に充実した人生のハーモニーを奏でることを求めていたということに終盤に気づいていくのです。それを教えてくれるかのような教え子たちとの邂逅、また人生を総まとめとしたときの本質が生きざまのプロセスの中に滲み出しているのです。

そう思えば、人は最初の直観を信じて何度も何度も繰り返していく中で最初は拒絶と出会い、その拒絶とも向き合っているうちに自分の深層にある本質に出逢い、そして変化することができ、その時の有難い機会と幸せを享受されたなら夢を已められなくなるということになるのではないでしょうか。なぜなら最初の拒絶とは、自分の思い通りにならないときに発生するものであり、そんな自我欲をも乗り越えてでもやりたいことを優先するからその人は自分らしくいられるのです。

人生とはやってみなければ分かりませんが、しかし同時にやってみたって分からないものなのです。遣って見て、そしてもう一度、遣って観る、そんなことを繰り返し遣って常に省観していくと次第に自分の真実の志に出会い竟には全ての人生に感謝することができるように思います。

自分らしく生きるには、自分の都合ばかりを優先していたらそうなるわけではありません。自分らしいというのは、与えられた今をどれだけ真摯に信じるか、信じて遣り切りそれが必ず夢とつながっていると精進を怠らず精進を妥協せずに己の欲に克ち続けるかということであろうとも思います。

「遣り切る」というのは、信じることです。

人生を遣り切って、その後に楽しむことほど豊かなことはありません。感謝するほどに恩返しに燃えて挑戦していきたいと思います。