人は誰しもがそれぞれの速度で自分の道を歩んでいきますが、その中で色々な人たちに出会っていきそれぞれに尊いご縁を結んでいきます。
その尊いご縁の集積の上に、今の自分があり、どのような人たちと出会ったか、どのような人たちに支えられてここまで来たかを時折実感できるのが同志との邂逅だと思います。
先に往く者も後から来るものも皆、それぞれの道の中で自分なりの体験をし、自分なりに正しいこと、素晴らしいこと、学んだことを伝承していくのです。
時代というのは、それぞれに自分の役割があるように思います。
そこには、その時代その時代を生きた人たちの生きざまとして生き方が譲られていくからです。子どもたちがこの後、どうしたいのだろうと思う時、自分の道を歩んだことそのものが必ず何かの役に立つと信じられるのです。
今までもずっとご縁に結ばれてここまで来た自分、そしてこれから往く自分を思う時、子どもたちが同じように自分の人生を生きることを自覚するのです。そうしてみると、自分がどれだけ自分の人生を遣り切ったかは、子どもたちの模範になるように思います。
自分の純粋な魂や信念を遣り切ることは大変ですが、その魂も信念も自分が守ってあげなければ誰かが守ろうともしません。しかし、それを守りたいと思う仲間が必ずご縁の中に存在しているのです。
大切なものは、仲間たちがずっと大切に心に持ってそれを他の仲間たちへと受け継いでいきます。宝というものは、この仲間たちが受け継いできた「信」であり、「義」であり、そして「魂」のことであろうと思います。
一人ではないと実感するとき、そこに脈々と連綿と続いて守られてきた魂の証を実感するから不思議です。自分の生き方の中に、その生き方を通じた宝が必ずあるという真実。それがご縁を楽しむ醍醐味かもしれません。
出会いを通じて、様々な宝があることに気づいてそれを次の方へと譲り渡していきたいと思います。日々を大切に、魂を御守り、自分の中に光り輝くその宝を守り続けていこうと思います。