昨日、ある園の取材の中で自然にまた気づくことがありました。不思議ですがいつも全身の真心で取り組むときはいつも自分に必要な叡智を何ものかに与えてくださっている感覚になります。自他一体にはいつも感謝することばかりです。
話を進めれば、私はここ数年で自然農をはじめて自然というものを考えるようになりましたが一度はじめてみると人間関係のことばかりで悩むことが増えてなぜだろうと思っていたのです。
色々な人たちの関わりの中で、自分の遣りたいことをやろうとすれば様々な人との関わりが発生してきます。その中では、自然の気候が自分の思い通りではないように、人との付き合い方もまた思い通りではありません。
自分を貫こうとすれば、障壁のようなものに遮られそこで自分の傲慢さを学び、そして自分の方を柔軟に変えていくことを知るに至るのです。自然から学ぼうとするとき、謙虚でなければ自然に一人で立つことができないこともまた自覚するのです。
それはやってみながら楽しんでいたのですが、自然と人間を分けていたせいかどこか人間の方との関わりは自然のようにはいかないと少し諦めていたように思います。
しかし昨日、それが一致したのは人は人にも自然があるということです。
自分が正しいと片意地を頑固に貫くことだけが自然ではないということもまた自然を学ぶことになるのです。昨日は、しなやかさの話の中で、三味線の弦を張り過ぎないことの大切さや、負けて克つお話などを拝聴することができました。
人に対しても色々な人たちがいるのだから、自然に包みこむような大らかさを掴んでいくこともまた自然から学ぶことに他なりません。
自然の定義を分けずに人間関係からも見直していきたいと思います。
此処に来て恩師の言うことの本質が少しだけ覗けた気がしました。恩師の仰っていた宮本武蔵や孫子などの「兵法」というものをもう一度学び直してみたいと思います。