人は学びを通して成長していきます。毎日毎日、学びが多く充実しているのはその学びを誰かの役に立てられるという歓びを実感するからです。
日々というものは学びを求めれば求める程に大量の情報量が入ってきます。また同時に大量の情報量を行き来させていくこともできます。それは自分を通して、その学びを誰かのお役に立てることを知っているから情報が入ってくるように私には思うのです。
よく一日のふり返りの時に、今日も沢山のことを学び気づくことができたと有難く実感し感謝している自分があります。同時に、時にはその情報量が整理できずに満腹状態になってしまうこともあります。しかしその後、落ち着いて穏やかに内省が澄めばそれだけ誰かのお役に立てる自分があるんだと実感してまた幸せな気持ちになるのです。
自分が知識が増えるのは、自分に気づきの体験が増えるのは、それだけ誰かのお役に立てるという可能性が増えていくことを実感するのです。人間は見たいものしか見ず、聞きたいことしか聞かない生きものです。
そう考えてみたらこの学びというものを思う時、学びというものを通して何を観て聴くか、その学び一つ一つが自分の存在意義に直結し自分の御役目を自覚し、学びが活かされた時にこそ自らが活かされたという実感に心から感謝することができるのです。
なぜ人は最後まで知識欲があるのか、それがずっと分かりませんでした。しかし、知識を持つことが人の役に立つからだと実感した時、自然に腹落ちするのです。
人間は、繋がっている中で共生しているからこそ誰かが誰かのために役に立つということを誰も教えなくても生まれながらに知っているのです。そしてその役に立つ方法が学ぶことだということも本能で知覚しているのだろうと思います。
知識を体得し智慧に昇華すればするほどに、それがすぐに誰かの役に立てます。そして誰かの役に立てれば、自ずから個性が発揮されそして自他に幸せを創りだしていくことができます。
何のために学ぶのか、それは目の前の人達を幸せにしていくため、そして自分も与えていただいているものをもっと大きくして御恩返しをするためということになるのでしょう。
学びが多いということは学楽量が多いということであり、それだけまだまだ社會に恩返しできる可能性が広がっているというとこと。日々に感謝の心で、学ばせていただいたことを有難く戴き、一つ一つを実践し、それを多くの人達に活用できるようにしていきたいと思います。
報恩感謝の心が仕組みを産み出すのでしょう。
学びを楽しんでいきたいと思います。