昨日、研修会でオランダ報告を拝聴しながら色々と思いだしたことがありました。時が経ち、ふり返りをしているとあの頃気づいたことが何だったのか、あの頃決意したことが何だったのかを今に実感することができます。
人は、過去の思い出にアクセスするときそのころの自分の決意に出会うのかもしれません。その時に決意した分だけがこの今に反映されていることを思えば、人は行動して決意したことこそが未来そのものになっているということなのでしょう。
未来を予測できないという人がいますが、私にはそうは思えません。
未来とは、この今の決意と覚悟が未来ということになっているからです。
子どもの未来を守ろうというのは、言い換えれば子どものために決意しようということです。未来をこのままではいけないと気づいたならば覚悟を決めて未来が分からくても真摯に取り組んでいくことが何よりも守ることになると信じます。
さて、私がオランダに訪問したのは5年も前になります。
あの頃は、どうしたら教育が変えられるのかと真摯に探し求めていたような記述がノートに残っていました。その中でオランダに訪問し、教育方法などは目もくれず万国万物に共通する物だけを見つめていました。
ある意味では他の視察者が見ようとはしないものだけを観ていたのだからそれを案内してくださった方には本当にご迷惑を有難い機会を与えてくださったと感謝しています。その中で、私が観たものは「質」というものです。
何をすることがもっとも本質であるのか、何をすることが質を高めるものなのかを観続けました。その御蔭で今のカグヤの仕事になったように思います。教育には教育だからこそ学校の先生たちだけではできないことがあるのです。
それは私たちが行っている教育や保育は国造りであり伝承であるから一部の人達だけではできないことだからです。それはまるで父と母がいるように、火と水があるように、御互いの役割は大切な役目をもって調和するのと同じほどに大切なことなのです。
教師や先生ができないことだからこそ、私たちにしかできないことがある。
それを持ち帰ったオランダであったと、今の社業を観ていると実感します。目には観えないものを観るというのは、信念が必要なのかもしれません。子どもたちを思う気持ちは、まったく変わらずとも立場と役割が異なるという歓び、それが人間の素晴らしさなのかもしれません。
引き続き、本質的な仕事によって子どもたちに未来を譲っていけるように日々の決意を新たに挑戦を続けていきたいと思います。