貢献というものに考え方があるように思います。
人は何かをしてもらったから貢献されたというものもありますが、何もしてもらってないのに貢献されたというものがあるように思います。
例えば、具体的に何かをすればすぐに役に立っている実感というものは得られるものです。世間ではサービスという言い方なのかもしれませんが、何かをやってもらうことでそのやってもらう度合いで貢献をはかるというものです。
しかしもう一つに、世間ではホスピタリティという言い方、もしくはおもてなしというのかもしれませんが存在しているだけで貢献をはかるというものです。ここでの貢献は具体的には何もしていなくても信じている、信じられているという絶対的なものがあるかどうかというものです。
人には、才能を役立てることと、存在が役立つことがあるようにも思います。
何かをする方は才能があれば役立てるでしょう、そのために仕事で能力を磨き社會のために貢献できるように精進するのです。しかし存在そのもので役に立とうとするならば、自分が先に信じる実践ができなければなりません。
単に信じるというのは疑わないという意味ではなく、どんな状況下であっても初心を貫く、その人のことを丸ごと信じる、社会に貢献することを祈るようなもののように思うのです。
役に立つためには、人間は才能と人格を高めていく必要があるのでしょう。
真に社會にお役に立つ人になろうと思えば、社會を強く信じることからなのかもしれません。貢献とはつながりの中にある言葉であることを忘れてはいけません。
日々に信を入れて、信を高めて、信を認めて、歩歩是道場を味わっていこうと思います。