発信の本質

情報リテラシーの一つに発信があります。

このリテラシーとは、一般的には情報技術のことをいいますが私にはもっと奥深い生き残りの智慧のようなものがあるように思います。

そもそも動物をはじめ、この自然界に居る全ての生きものは情報を発信することで生きているともいえます。例えば、鳥でも虫でも何かの情報を発信することで敵がどの辺にいるのか、また仲間がどの辺にいるのか、周りに何があるのかを自らのアンテナで感知していくのです。

自然界で発信するというのは、自分の居場所を教えることになるので同時に危険も伴うものですがそのことではじめて得たい情報が集まってくることを自ずから知っているのです。

人間はテレビをはじめ、インターネット、雑誌など、じっとしていてもそのうち情報が集まってくるように今は見えています。多すぎる情報の中で受信していると勘違いしてしまうのも仕方がないようにも思います。しかしそれは本来の意味での情報リテラシーとは呼べないものではないかと私は思うのです。

情報は自分から求めて取りにいかなければ真の情報は得ることはありません。特に上質なものであればあるほどに求めなければなりません。そしてもっとも価値があり充実し上質な情報とは、自らが「発信する」ことに他ならないのです。この発信というものは、自らが受信するアンテナを立ててそしてそこに感受しようといった丸ごと主体的でなければならないものだからです。

発信し続けるということは、今の人工的な社會であれば不可解に思われるかもしれません。しかし日々に自らの念じることや信じること、祈りのようなものを欠かさずに発信していけば必ずその情報アンテナの感度は研ぎ澄まされ、日々に磨かれ、自分が最も望んでいる情報を受信できるようになるのです。そうして本質的に自ら受信したものだけが、相手に真の情報を提供していくことができるようになるのです。

情報が集まってこないと嘆くよりも、それだけ自分は真剣に情報を発信しているかを省みることがリテラシーの本質ではないかと私は思います。

情報はそもそも地球上の全生命が生き残るために工夫して磨いてきた智慧であろうと思います。

情報とはまるで川のようなものだからこそ、どんなに流れが早くても遅くても、気候の変化で氾濫しても、いつもそこに自然の感度を持つあの水中生物のように聴き洩らさないほどの自らの発信を已まずに常に行っていなければなりません。

生き残るということは大変厳しいものだからこそ、情報とはその次元で発信していく必要があるように思います。だからこそ自然の感度は常に受信側ではなく、発信側を優先していることを見習わなければなりません。

生きる力とは、自然の本能が持つ力そのものです。

常に自ら発信するということの重要性を、子どもたちのためにも実践していきたいと思います。