人生哲学と道場

コーチングの大前提に、人生についての哲学というものがあるように思います。短期的に物事を観るのと、長期的に物事を観るのではその指導方法も変わってきます。

スポーツで言えば、試合に勝てさえすればいいのか、それとも人生に克つのかでは意味がまったく異なるからです。もちろん、どちらかが良い悪いという意味ではなく目的が何かということなのです。

人が人を指導するのに、目的がどうなっているかというのは何よりも大切なことのように思います。その人をどうしたいのかということは、その人がどうなりたいのかということがあります。そこには本人の意思と、指導者の意思が交わっているのです。

その人の自己実現をより素晴らしい方向で叶えてあげたいと願うからこそ、何を直さなければならないかということを理解できるものです。

何だか今の時代は、資格を持っているとか、経験があるとか、何か方法論を知っていればコーチのようだと勘違いがあるようにも思います。

常に物事には目的があるのですから、そこから物事を見据えて指導計画を立てる必要があるように思います。教育のためにやる人と、その子の人生と社會のためにとやる人とではそこにも天地の開きがあるからです。

もしも人生道場というもので物事を捉えてみたら、その節目節目にその人が学ぶその体験をどのように厚くするか、深めるか、糧になるようにしているか、得難い財産を持てるようにしてあげるのかは、その指導者の哲学如何によるものです。

その哲学がなければ、指導も根無し草のようになってしまうように思います。その人が長い人生の中で一度きりのこの今に共に歩み、共に学ぶご縁をいただくのだからこそ、ご縁を活かしてより善い自分らしい人生を歩んで見せて、同時にその人らしく人生を歩んでほしいと願うのが共に生きるということを学んでいくことなのでしょう。

育つというのは教えるとか教えられるとかいう前に、御互いに乗り越えていこう、御互いに学び合っていこう、御互いに人格を磨いていこう、御互いに自分に打ち克って自由になろうと、励まし合いながら日々、未来のための投資を積み上げていくことでコーチングまた育つ方法として役に立つのでしょう。

何をするにもそこにどのような人生哲学を持っているか、その哲学を具体的な実践でものにしているか、そこがあってはじめて誰かを導くということができるようになると思います。

どうせ人生道場の中では、常に自分との怠惰、惰性、怠慢とは常に向き合い続けなければならないものです。人生を善くしていこうとするならば、決して避けることはできないのが努力精進と勤労真摯に生き切ることです。

やらねばならぬものはどうせやらねばならぬとしたら、誰かに嫌われようがどうしようが気にせずに構わずに、強くしてあげたい、実現したいと願うものです。

日々を一期一会に遣り切って歩んでいこうと思います。