真の悦び~新しい可能性~

負けた悔しさというものを持つということはとても大切なことです。

人生の中で自分の心を入れかえようとするとき、そのキッカケの一つになるからです。自分というものの可能性をどのように見出していくのか、自分というものをどのように発掘するのか、そこには納得できるまで遣り遂げようとする決心があるのです。

人間はどうしても怠惰な性格から、自分にとって楽な方を選択してしまうものです。一見、苦しそうに周りから見えることでもそれは苦しいことではなかったりするものです。本当に苦しいのは常に自分が変わる方を選択するまでの過程です。

もがき苦しむというのは、変わりたいと願う自分の可能性と対峙するからです。このままでいいとか、変わらなくてもいいとか、人は今の自分に満足しているものです。そこから外れてしまったら、自分には何が残るのだろうかと不安にもなるからです。

しかし、そのようなすがるような過去の自信に囚われるよりも未来へ向かっての自信を育てていこう、身に着けていこうとする方が前のめりに歩んでいけるようにも思います。

人間には常に励ましというものが必要だと言ったのは、ゲーテです。

そのゲーテにこのような言葉が残っています。

「われわれの本性は、怠惰へ傾いている。だが、われわれは活動へと心を励ます限り、その活動の真の悦びを感ずる。」

つまりは、努力次第で人はいくらでも変化する可能性があるということです。

自分が思っている以上の新しい自分に出会えるということです。人がそうなりたいと強く願うこと、そうなると信頼した人が信じることでその人はその人そのものに変化して已みません。

人間の可能性を引き出すのが指導であり、指導者はその人間の可能性を信じるからこそその人を自己実現、社会の共生、貢献と幸福へと導けるのでしょう。

変われないでもがくのもまた変わりたいと願う心の内からの叫びでしょう。そんな時は、心を信じて、心に従って、心から学び直すことのように思います。変わるべきというよりは、変わってみたいと、今度こそ信じてみたいと挑戦を続けていくことのように思います。

私はそのように生きる人たちの励ましになりたいと思います。

これからの世紀は、もっとも人間が自分で自分に打ち克つための真の学びの期間になるように思います。世界は今、時代は今、過渡期を迎えているからです。今、此処に心を籠めてミマモリングの哲学を定め、人類の可能性に挑戦していきたいと思います。