先日、師のインスピレーションの赤ちゃん同士の関わりのお話から相互主体についてずっと考えてきてハッとすることがありました。
人が育つということを一生懸命に見守り、寄り添い、信じる実践をしていると、その人が努力をし本番で活躍したり、その人の人生が光輝き変化する体験をするのを実感したりします。
私の場合は、子どもの朝練でも新しい仕事でファシリテーションするクルーの姿に感動し、本人が自信を持って遣り切る様子に安堵し感激します。その時、同時にいつも感謝の念が込み上げ自信を持たせてもらったのは私の方だと嬉しく幸せな気持ちになるのです。
こちらがやっていると思っているときは、文字通り必死になって自分も学び、自分も真摯に取り組み、どうやったらいいのだろうかと試行錯誤しつつ繰り返し繰り返し実践を積み上げていきます。
努力をしているうちにあるとき、感動するような出来事に出逢います。その人ができるようになったり、強くなったり、信じられるようになったり、新しいその人の発見に出会うのです。すると、同時に新しい自分自身を発見します。つまり、いつも同時に相手の歓びが自分のものになり、自分の歓びもまた相手のものになるのです。
相互に一生懸命に努力したことで、努力した成果を共に味わうという貴重な体験をさせていただくことができるのです。
そしてそういうときに、自他一体の境地を味わうように思えます。自分が主体だったものが、相手の主体によって引き出されていく感覚。まるで自分が相手の得たものを同時に自分も得たのだという有難い感覚、そういうものを体験するのです。
相手がいる御蔭で自分があり、自分があるから相手がありますが、自分が相手と同じくらい努力をしたり、真摯に向き合ったり、実践することが、相手と同時に成長していくことかもしれません。
錆びない関係や、御互いに成長するというのは、「一緒に」という強い絆があるからかもしれません。そしてそれはどちらかだけが引っ張るのではなく、相互主体、相互扶助の関係ができてこそなのでしょう。
御互いに諦めないで努力する価値というのは、御互いが自分の丸ごとで真摯に努力することなのでしょう。
そこに絆も出会いもご縁もあるとしたら、懸命に生きることが懸命に生きる人の幸せになるということなのでしょう。相互主体であるからこそ、自分がいつも手を抜かずに精進していくことで新しい相手と出会っていく歓びを感じていきたいと思います。
自信を戴いているのはいつも私の方です。
努力してくださって本当に有難うございます。