知識を活かす力

物事には本質というものがあります。

これをそもそもとかゼロベースとかの言い方で論じ合うことがありますが、これも学校で教えられたままの知識で論じると本質からズレテしまうということがあるように思います。

本質とは、それが一体何かということを考える力が必用で誰かから言われたことを考えるのではなく、その元から自分で考えるということが優先されているのです。

社會で知識を役立てていこうとするならば、単に知っているだけでは使えません。その知識をつなげて如何に貢献するかということができなければ知識は活きないからです。

学校では暗記というものを中心に、誰かが教えたことを覚えればテストでの成績は上がっていきます。受験を目標にしていると、如何に教えられたことをちゃんとやるか、如何に教えられたことを忘れないかということが重要視されます。

しかし社会人になると、如何に教えられていないことを考えられるか、如何に教える前に学問をしているかということが大切になります。そもそもの目標や理念を優先していますから、自分で今、一瞬一瞬の本質を考え続けなければならないのです。

いちいち何のためかということを考えるというのは、楽ではありません。本来は、誰かが言ったことをルーティンでやるだって十分に大変ですからそれでいいと思いたくなるのかもしれません。しかし、本質から外れたならば頭でっかちに考えただけで効果が低いということが発生し、いつまでも受身になってしまうのです。

もし本質通りであれば、目標から外れずに本懐を達しますから主体的に仕事を創造していくことができるのです。これらの本質の力というものは、何が本当のことか、何が本物か、何が真実か、何が本質かということに徹底的に考えている内省が必要なのかもしれません。

右か左かではなく真ん中、良いか悪いかではなく最善、合っている合っていないではなく実践というように、本質が捉えられる人は全体の知識を融合し、理念や目標から外れずに日々を取り組み積み重ねられるように思います。

それは頭だけで考えるのではなく、心で考えた後に頭で考えるのがいいのかもしれません。まず行動し体験し、検証し、改善し、実践するという先に考えて失敗しないようにするのではなく、失敗してもいいから連帯で行う、言い換えれば失敗してもいいからみんなと協力するということを学ぶのが本質的なことを呼び込んでいくのかもしれません。

個々が教えられた知識では自分は活かせないということでしょう。知識を活かす力というものは、独りよがりの知識で勝負するのではなく、ありとあらゆる知識の中から本質を見つけ出し、その本質のままに行動することで本来の知識を活かすことができるということです。

そうやって自ら社會を通して日々に学問をし研鑽を積んでいくというのは、実行実践実証の場数を徹底的に増やしていくということなのでしょう。極端かもしれませんが頭で考えずに行動できるというのは、目標や目的が心で観えているということかもしれません。

「何のために」というのは自分と正対し向き合う言葉です。それを日々に積んで目的のままの自分でいることが貢献していくということなのでしょう。日々を学び直していこうと思います。