大晦日になり、改めてこの一年を振り返るとあっという間だったように思う中でも貴重な出会いやご縁をいただいた充実した一年になったように思います。
節目というものは、その時々の心境で何度でも感じるものですがその機会が一年ごとに繰り返されるということはとても豊かなことであろうと思います。
人生の中で、節目というのは私にとってはいつもはじまりとおわりを示します。一つの生が終え、一つの死を迎え、そして甦生する。この甦生こそ節目であろうと思います。そうやって何度でも節目に甦生しながらも変化と生長を已まないというのが循環の中にいる今というものに生き切る覚悟なのかもしれません。
以前、私は「メメント・モリ」という言葉に出会いました。「死を想へ」というようなラテン語の意味だったように思います。具体的には、人はいつか死ぬのだから死を忘れてはならないという意味だったように思いますがその言葉をより詩的に田坂広志氏が書いたものを、手帳に書きだし20代の駆け出しの頃は何度も省みて観直していたのを思い出しました。
そこにはこう書いています。
「この地上に束の間の生を受け、駆け抜けるように去っていく無数の人々のなかで、
我々が、その短い生涯において「縁」を得るのは、わずか一握りの人々に過ぎない。」
死を忘れるなということを毎日のように思い返し、自分の今の一瞬一瞬が掛け替えのないご縁の日々を送っていることを当たり前とは思わないようにと自戒をしていました。今になってみると、その御蔭で素晴らしい日々に出会い、素晴らしいご縁をいただき、有難い邂逅と勿体ない御蔭様に恵まれ学び続ける日々を歩ませていただいています。
この生を遣り切った先に、充実した死ががあり、その先にまた新しい生死がある。
この生死の縁とも呼べる今というものの連続の中にある、生死がいのちの甦生を続けていくのかもしれません。万物一切は永遠の今を持ち、この宇宙と共に生き続けるということが今というものの中に存在しているのかもしれません。
私たちは思い出というものを忘れてしまいますが、思い出があるということは永遠の今があったということを思い出したということかもしれません。
今を生き切るというのは、何度でも生まれ変わるということです。
何度も何度も気づいて発見したならばもうそれは昔のことです。それにご縁を大切に、新しい自分と出会ったならばもう昔の自分はいないのです。新しいことを学ぶということは、それだけ古い自分との邂逅になります。つまりは生も死も同等に今の中にあるということでしょう。
姿かたちは同じであろうが亡くなろうが、信じたものは永遠です。
来年も信じて行じていく日々を積み重ねて、自らの実践により子どもたちのいのちの今を切り開いていきたいと思います。御縁に感謝しつつ、今甦生している日々を味わって豊かに生き切って参りたいと思います。
有難うございました。