人間には固定概念というものがあります。これは「きっとこうなのだろう」と常識をその人が思い込んでいることのことです。
例えば、大勢の人たちが話すことを人は無条件で信じるものです。他にも知識が長けている人の話を聞くときも信じますし、目に見える世界がそうなっているのならそれをそのまま鵜呑みに信じています。
そうやって自分の中で常識として定着してしまうのを固定概念というように思います。そして賢くなってくればくるほどに、こうでなければならないとか、こんなの無理だとか、できるはずがないといった自分の中に壁を設けてはそこがハードルになって変革することができなくなるのです。
しかしこの固定概念というものは曲者で、その人の信じる質量でその内容も決まってしまいます。エジソンなどの発明家のように、最初から不可能を可能とし挑戦と努力を継続し、信じることを諦めない人の持っている固定概念と、最初から何もしないでできないと思い込んでいる人の固定概念ではその内容も意義も変わっているからです。
どのような固定概念を持つか、それをセルフイメージと英語では言うのかもしれませんが自分の中の常識が一体どうなっているのかを確かめるということです。そうしてその固定概念を刷新できたときにこそ自ら希望を産み出すことができるのです。
そして人はこの希望を持つとき、この常識が崩れ始めます。
つまり「常識」が崩れ続けるとき、それを人間は「希望」といい、その希望が得られたことを「奇跡」と呼びます。この奇跡といったミラクルとは、常識が異なるものを発明したり自明したり、そして実現するときに実感するものです。
そして奇跡とは、その人の常識を刷新するほどの信念を持ち、その信念を曲げずに諦めなかったことで希望が手に入り、その希望が継続していく中でいつの日か結果が顕われ伝説となり伝道されるのです。
誰しもが不可能と思うことに挑戦するのは、いつまでもその希望を捨てないからです。
昨年からの問いがようやくここで開花してきています。自分の常識を壊し続けられるように、バカになってムリをせず野生のままに歩んでいこうと思います。 自分の使命は、どうも其処彼方にあるようです。