勇気

人は何かに取り組む際に、自信があるとかないとかを基準にすることがあります。

しかし実際は、自信があったら何でもできるわけではなく、自信がないから決してできないというわけではありません。これは自信というものは、物事の見方や捉え方に関することであり前例があることは自信があり前例がないことは自信がないということがほとんどだからです。

では自信があるないに関わらず、何をもって取り組んでいけばいいかと言えば勇気を出すことのように思います。そして勇気とは覚悟を決めることなのです。覚悟とは勇気を引き出すために行われる自己との約束とも言えるものです。

勇気というものを辞書で調べると、「いさましい意気。困難や危険を恐れない心。」と表現されています。つまりは心の力のことであり、心が強いということです。よく私も気合で乗り切るようなことが多いのですが、これらの気合や真心が勇気を発動していくように思います。

この勇気というものは人生に多大な影響を与えるように思います。特に頭で考える人は自信があるないから入りますが、心の鍛錬を行う人たちは勇気を出すか出さないかという選択に変わっているように思います。

アメリカの作家で、アンブロウズ・レッドムーンにこういう言葉が紹介されています。「勇気とは恐れを知らないことではない。恐怖よりも大切なものがあるという。決断のことである。」

恐怖よりも大切なものがある、これは仕事で言えばお客様であり、家族でいえば子どもであったり、会社でいえば社員だったりと、守りたいもののために自分を盡そう、自分を捧げていこうといった、今の自分の固定概念が壊れる怖さよりも、それを崩してでも大切なものがあるのだからと念じて出てくるのが勇気だということです。

人は自分自身がまず一番大切なのでしょうが、もしも自分と同じくらい大切な存在に気づけば勇気も愛も自覚していくように思います。自暴自棄などというものも、大切なもののために勇気を出せなかったから自己嫌悪でそうなってしまうことが多いように思います。それが続くから自信がまたなくなってしまうのです。

またどれだけこの「勇気」というものが人生において大切かというのは偉大な先人たちがその生きざまや言霊で遺してくださっています。

「人は何度やりそこなっても、「もういっぺん」の勇気を失わなければ、かならずものになる。」(松下幸之助より)

「勇気というのは強いからとか、勇ましいから勇気があるというのではない。たとえ、自分にとってどんなに不利な結果になろうとも、自分が真実であり、妥当であると考えたことを認め、それに賛成することこそが勇気である。」(本田宗一郎より)

畢竟、最初は誰だって怖いしできないと思うものですが勇気を出して取り組んでいればいつの日か揺るがない自信になっていくのでしょう。大切なもののために生きているからこそ、人はそれに相応しいほどの自分が次第に出来上がっていくというのが役割と責任の享受になるのでしょう。

自分を自分で育てるには、自分により大きな責任を課して大切なもののために実践するということを継続していくことのように思います。

この勇気とは、私たちが元々持っている本能であり、人間として自然の中で生きてきた素晴らしい徳恵であることを感じずにはおれません。勇気を出すのは誰が出すのかが問題ではありません、誰でも勇気ある決断をしたときから世界が変わっていくということなのでしょう。

最後にピータードラッガーの名言で気合を入れ直したいと思います。

「成功した企業は、きまって誰かがかつて勇気ある決断をした。」

自分自身の変化を恐れないのは自分自身から出る勇気です。大切なもののために自分の使命を果たそうとする風土を自らの実践により醸成していきたいと思います。