人は自分の持っているものをどれだけ他人に与えているかで物事の成否が変わってくるものです。例えば、いつも他人に求めているだけの人、もしくは持っているものを出し惜しみしている人では与えるという感覚よりも奪ったり減らないことばかりを考えている思考に陥ってしまうものです。
与えるということは、持っているということを認識する力です。
与えることができる人というのは、自分が何を持っているか、それが他人にどのように喜んでもらえるかを知っています。自分の笑顔や親切であったり、自分の信じる力や声掛けであったり、もしくは物理的な資金や料理や裁縫などであったり、歌であったり真心であったりと自分の中にあるものを探してきては少しでも与えようとします。
実はこの与えるということは、共生の原理でありよりよく生きる仕組みであろうと思います。活かされているというものに立脚してこの世の中を見渡せば、如何に自分を活かしていくかということが幸せにつながるのは自明の理です。
その中で奪うことを求める人と、与えることを求める人では、その生き方において人生の意味づけの成果がまったく違ってくるように思うからです。人生の通り方が同じだとしても、前者は、同じことが起きてもいつも貧しく、後者は同じことでもいつも豊かであるのです。
与えるということは、与えるのが好きだということです。そしてそれは最初から豊かなままであるということです。お金があるかないかではなく、その人が豊かであるということです、豊かであるから困らないだけでお金がないから困らないわけではないということです。もしも御互いに与え続ける関係ができればそれが最善最良のパートナーなのかもしれません。
与えるには、まず求めなければならないように思います。何を求めるかといえば例えば営業でも同じことですが、いつも自分が持っている最善最良のものを与えようとします。すると、それは自分の真心や誠意であったり、自分が探求して掴んだ真理であったり、その人の不安を解消するものであったり、悩みや苦難を取り除くものであったりと自分から相手のために与えられるものを持っていなければ与えられません。
そしてそこには物質的なものから精神的なものまで、どれだけ自分から与えられたかがその後のつながりに顕われてくるのです。営業で言えば与えてもいないのに奪い続けていたらジリ貧になってきます。その逆に与え続けていれば種を蒔き続けるのですから豊かに実ってくるのです。
何か与えたい、何か御役に立ちたいと強く願うこと、そして万人に感謝しその一人として自分を有用に使ってくださいと学び続けることでその機会もまた得られるように思います。
自分を世の中に役立てたいと真に願うならその人に仕事がないということはありません。逆に、自分はこんなに優秀なのにといつも不平不満をもっていたら人も仕事も集まってくることはありません。
自分の都合でこのくらいとか、過去のパターンでこの辺でという出し惜しみはすでに与える喜びから離れてきている証拠です。どんなことにも一生懸命、何事にも誠心誠意全力で、自分の最良最善でと願い続け継続実践することこそが好循環を呼び込むコツだと思います。
毎日を遣い切る、自分を出し切るということは、言い換えれば毎日真剣に与え続けたということになります。
あの自然の草花に見習い、誰が見ていようが見まいが最善最良を出し切っていきたいと思います。