ありのままにあるがままに

人は他人を見るのに、こうなってほしいという願望が入っているものです。

本来のその人がその人のままに観えるというのは、自分の都合で正否を分けずにその人を観る時にその人になるのです。しかし実際は、人間には我がありますからどうしても自分にとって都合が悪くは見たくはありませんし、むしろ都合よくあってほしいという気持ちが入っていくものです。

そういう自分の願望からその人に入ってしまうと、本来のその人の気持ちやその人が今どのような状態かというものが正しく視えなくなっていくのもそのためなのです。

先日のブログで、上級者は指導する人達が初心者であることを忘れてはならないということを書いたように思いましたがこれは初心者の気持ちを忘れるなということなのかもしれません。

初心者であると思えるというのは、自分が相手のことを相手のままに見守っているからそうなるのですが自分の願望が入りこうなってほしいと強い思いがあればその人のことを過大過小に評価してしまうのです。そしてそれは言い換えれば人間は自分を評価してほしいという無自覚の願望があるということです。

だからこそまず相手がどのように感じているか、何を思っているか、そういうものをありのままにあるがままに感じる力があってこそ正しく相手のことを理解していくのでしょう。自然が自然のままに観えるには何が自然かということを自覚することを基本にしていく必要があります。

そして自分の願望の押し付けではなく、相手のことを思いやることで本来の関係や本来の信頼が強くなっていくように思います。相手に分かってもらおうとするよりも、相手を分かってあげたいという優しさ、そして自分が信じられるかどうかよりも、相手を相手の夢の高さで信じてあげたいという強さが御互いに自立し育ち合う土壌を醸成していくのかもしれません。

常に自他一体に、分けないで物事や人物と接していきたいと思います。知らずしらずに我に偏るのはまだまだ精進が足りないからかもしれません、子どもたちや世の中のために実践を積みかさね信を練磨していきたいと思います。