組織人事の問題の解消を幾度となく繰り返していくと共通するところに発見があります。
どの組織でも共通するものに、共通理解というものがあります。
何かの物事を自分一人で進めようとすることで次第に周りとの距離感が離れていくものです。誰かと共にや仲間と共にと歩んでいこうとすれば、理解している範囲も感情を伴って考えていくものです。つまり意思決定のみが価値ではなく、意思決定のプロセスが真の価値だと言えるのです。
例えば会議などでも、出た答えだけを回覧してもその答えが出たプロセスがどうであったかの方を理解しないとその意思決定に自分が入り込んだわけではないからです。すぐに答えだけを求めるのは学校で教わった勉強の刷り込みがあるからです。
答えあわせをしますが、その答えさえ合っていればテストでは評価されるのです。しかしそこにいたるまでのプロセスを一緒に出していく歓びや、答えがない問題に皆で真剣に取り組む楽しい体験をさせないのでは本来の人生での共生や貢献という人間の価値に気づけません。
そもそも答えなどはないのです、仕事でも答えがないと取り組めないという人がいますがそんなことの方が不可能で答えがない問題にみんなで一生懸命に一緒に取り組む中にこそ真価があるともいえます。
真価とは何かと問われれば、どう生きたかということでしょうがそれは答えを知ることが目的ではなくそれぞれが一緒に共通の目標を握り合い叱咤激励しつつ自らの道を歩み続けることが組織の醍醐味なのでしょう。
言い換えれば、ご縁を活かしたということです。
そう考える時、リーダーはビジョンを持ち願望がありますがその願望は一人で達成するわけではなく共に歩む仲間と共に達成するためのリーダーの意義です。そうであれば達成するためには今の仲間たちがどのような状態なのか、現実はどうなっているのかが自分の感覚とズレテしまったら共に歩むことができなくなります。
リーダーは的確に周りの仲間たちが今、どのような現状なのか、どのような課題で困っているのか、どのような気持ちなのかを理解していく必要があるように思います。違った価値観を共有しながら協力するというのは大きな目標に向けて互いの感覚を一つに近づいていくことに似ています。
感覚を近づけていけば共に意思疎通が取れるようになるからです。これらの感覚とは、近づけることも大切ですがもっと大切なのは「ズレナイ」ということなのです。
頭で分かるのと感覚が近づくのは使う場所も異なるように、常に感覚を優先しその後、頭を使うというように順番は気を付けないといけません。頭がよくなり賢くなればなるほどに、実際の人生の歩みは停滞していくように思います。
知識で分かることができることを目指すのは「する」という発想で無理が生じますが、真心で実践することや共に遣ってみようと試行錯誤チャレンジすることは「なる」という発想になるから自然体になるのでしょう。
知識よりももっと大切なものは、現場感覚なのです。現場感覚とは、それぞれの人達の現実に対する感覚を理解することでまるで生きものであるかのようにその組織にはいのちが吹きこまれていくのです。
あの動植物も、空の鳥たちも、集団で生きるものたちはみんな知識で共に飛び泳ぎ走るのではなくすべては感覚を近づけているから一体になっているのです。群れのリーダーは、勝手なことをしては感覚が鈍ってきますから如何に周囲との感覚をチューニングするのかが肝要なのでしょう。
集団や組織にとって何が自然か、頭でっかちに間違わないように私自身がいつも「現場感覚」を優先して取り組んでいきたいと思います。