昨日は、日田の広瀬淡窓の咸宜園を紹介しましたがこの私塾には目的がありました。
この咸宜園の咸宜は、「ことごとくみな善ろし」という意味であり、よくブログで書く二宮尊徳の一円観と同じです。他にも天人合一という言い方でもいいですが元々の思想の中に、「敬天」という考え方に根差しているように思います。
これは天の心と同じように天に仕える心を持って生きるという生き方のように思います。それが万物一体善という考え方であり、善い悪いではなく丸ごと善いことなのだという天の大きさで全てを捉える力を涵養するということなのでしょう。
本来の教育の意義を広瀬淡窓は、「人材を教育するのは、善の大なるものなり」と定義しています。まさに本来の教育の本質を捉えている言葉のように思います。全てを善いことにするという思想には、自然に生きるという本来のいのちの活かしかたが入っています。
この広瀬淡窓は、幼少期から病に苦しみ、様々な逆境を善いことへと転じて生涯を歩みました。特にご縁をいただいたキッカケとなったのが、咸宜園で拝見した「万善簿」というものです。これは今の私の日々の感謝日記にも取りいれていますが、意識をするだけで善いことに転じようとする実践も高まってくるから不思議です。
どういう仕組みかというと、1日の終わった段階で、その日に行った善行が白丸で○。悪行が黒丸で●というものを帳面につけて1万回の内省を続けました。約30年間をかけて、日々に●よりも○が勝ち越すようにと念じつつ実践した痕跡が帳簿に残っています。
そして善行と悪行の数を差し引いて、月ごとにいくつ善行を行ったのか集計しました。67歳で万行が達するまで、日々に自ら取り組み実践する後ろ姿から私淑を受けた塾生が沢山いたのではないのでしょうか。時を超えて今では教えを受ける私もその一人です。
志の高さが人材を引き寄せ、そしてその時代を活かす人財を育成していったのでしょう。
最後に、休道の詩を紹介します。これは咸宜園で共に道を学ぶ人たちに師が励ました詩であると言われます。何よりも同門同胞、師友との関係の中で大切なものが得られることを述べて戒めているようにも感じました。そこにはこうあります。
休道他郷多苦辛
道(い)うを休(や)めよ 他郷(たきょう)苦辛(くしん)多しと
同袍有友自相親
同袍(どうほう)友有り 自ら(おのずから)相親しむ
柴扉暁出霜如雪
柴扉(さいひ)暁(あかつき)に出づれば 霜雪(しもゆき)の如し
君汲川流我拾薪
君は川柳(せんりゅう)を汲め 我は薪を拾わん
意訳ですが、道を歩む学問をしながら其処で苦しい辛いと嘆き愚痴を言うのはやめましょう、一枚の衣服をを共に分かち合い一緒に使うくらい仲のよい生涯の同志や親友ができて、自然と仲よく親しくなるはずです。早朝のまだ暗い時間に玄関の扉をあけて外に出てみたら、真っ白な霜が雪のように広がっている。とても寒くても日々の炊事生活に励み、あなたは小川の流れに水を汲んで来てください、私は山の中で薪を拾ってきます。
日々の修学修養は大変だけれどもそこに道を歩む道楽がある。苦しみの中に楽しみがあり、辛いことの中に歓びがある。学問を求道するのに必要な心得が入っているように思います。
今の時代は私塾ではないのでしょうが、日々に「道うを休めよ」という響きに心が揺さぶられました。そこに善転の行の鍵が入っているようにも思います。
日々に学びを楽しんでいきたいと思います。