人間は他を認めるということで共生するということを本能で自覚している生きものです。
自然界では、他を排斥するのではなく他の存在を認めることからそのものが自分とどのように関連するのか、そして繋がっているのかを確認しています。
例えば、植物から虫、動物にいたるまで自分との関係がどうなっているのかを自然に悟り自明するのです。あるものは食べ、あるものは食べられと交互に役割を交代しながらもそれぞれのいのちを全うしていくのです。
自然の中に生きているときは、文字通り生き残ることに必死ですから自ずからそれぞれが活きることを行えるのです。生きるというのは、活かされるということですから自然はその循環の中に住んでいるのです。
しかし人間は、今のように生きることが保障された中にいると本来の循環を忘れてしまうものです。何をもって認められているのかなども、分からなくなってしまうのかもしれません。競争して一番になることが認められると思っていたり、頑張ってさえいれば認められると思い込んで無理をしている人が増えたようにも思います。
本来の認めるというのは、その人の存在価値のことを言うように思います。
何かをしなければ認められるという意味ではなく、その人の存在そのものに価値があるという考え方です。これは、人が活かし合っている、一人では生きてはいない、一緒に生きているということを直観するからこそそう感じることができるのではないかと私は思います。
今の世の中は、如何に利用価値があるか使用価値があるかで物事を判断していきます。それは物であっても、他人であっても、ビジネスであるからと割り切って付き合っています。しかし短期的に見ればそうかもしれませんが、長期的に観ればそれは複雑怪奇に繋がっているご縁の中で生き活かされた共生の中の仲間ということになるのです。
広く大きな目線で物事を見つめれば、存在そのものの価値の偉大さに気づけます。
自分が活きるのも、誰かを活かすのもどうしているのか、それは自然に活かされているのです。何かをしなくても活かされる、無為自然なのです。自然の中に生き活かされている私たちはいくら都市の中で人間社会を切り取っても、地球の中であり宇宙の一部であることに他ならないのです。
点が線になり面になって形になるように、また人生も同じくそういう連綿としたご縁の糸でつながっています。存在価値に気づけるように、刷り込みを取り除き、人を活かし自分を活かし、生命の価値のままにを全うしていきたいと思います。