カグヤには行動指針というものがあります。これは以前、クルーの皆と語り合い話し合ってどのような会社にしようかと考えて出し合ったものです。
そこにはこうあります。
「本音で語り、本質を追及する」
「関わる全てに尊敬・尊重を忘れない。」
「明るく楽しくイキイキと、心身共に健康に。」
「御互いを信頼しあい、高めあい、協力を惜しまない。」
「信念・理念に誇りを持って、夢の実現に向かい続ける。」
という五つの項目です。
これは、自分たちがどうありたいか、自分たちが行動するときにどういうモデルを示していこうかと語り合い一つ一つを精査していきました。
そもそも行動指針とは何かといえば「基本」のことです。
基本とは例えば、茶道や武道の基本も心得や型からですがもっともはじめに身に着けることということになります。それはとても地味で目立たないものですが、それがあってはじめて他のことができるというものです。
基本ができていない状態でいくら何かをやろうとしていても、それは付け焼刃になるだけで何も為し遂げることができません。自分に矢印を向けてまず自らの行動が基本に忠実であるかどうかを見直すというのが行動指針になります。
人間にとっての基本は人格形成のように思います。
以前、師から教わったものに「自由は人間ができていないと使いこなせない」というのをお聴きしました。いくら自由の環境を与えてもらっていたにせよ、どれだけ好きなことをやってもいいと言われても、自分自身の人格を高めていなければそれは活用できないということです。
人は何かしら決められた中で動いている方が楽です。指針などなくとも、規則があればそれだけで自由になった気がするものです。何も規則がない、誰からも何も言われないということほど不自由なことはありません。一般的な日本の社会ではガチガチに規則やルールが秩序よく整理されていますから考えなくても合わせていけばある程度は自由です。
しかし尊重し合う社會に入れば、その自由を守る一人としての責任が発生してきます。そうすると、自分で周りの自由を奪わないように、他人に迷惑をかけないように自らの行動を律していく必要があるのです。
自由には責任が伴うのは、その行動を正すのは自分次第ということでしょう。
常に自主自立の心というのは、自らの人生の主人公を自らで育てあげていく責任のことです。
人生の課題もまた其処にあるように私には思えます。
有事のときにも無事のときにも、ふり返りを怠らず常に行動指針に照らして今の自分はどうであるのか反省し続けていきたいと思います。