人は役割を自覚するのに、主体的であったか受身であったかは後で大きな差になっていきます。
自分の役割が何なのかということを自覚できるということは、全体に対して自分が何ができて何ができないのかを理解することができているということです。言い換えれば、自分そのものを過大評価も過小評価もせずにあるがままにありのままに自分にしかできないことを遣っているということでしょう。
これは刷り込みがあると大変難しいことです。
誰かから役割を与えられたり、自分はきっとこういう役目であろうと勝手に思い込むとそれ以外のことをしないようになるものです。実際には何のために自分があるのか、何のためにそれを遣るのかと原点から考えていれば自ずから自分の役割が顕現してくるものですが頭で考えてきっとこうだろうと相手に合わせていると本来の役割や役目を実感できなくなるものです。
言われたことが役割だと勘違いしたり、言われていないことは役割ではないのだということの考え方の中に、役割というものは外から与えられるものだという思い込みを持つのです。
本来の役割とは自発的で主体的なものです。自分ができることは何かと突き詰めれば、自分の得意や長所が役に立つのは自明の理です。また目的に対して全身全霊の真心だからこそ自分にしかできないことを確認することができます。
自分が何で御役に立てるのかは、御役に立とうというような気持ちよりも何でもさせていただきたいと願う謙虚な心の時に観えてくるのかもしれません。
自分が求めた御役目よりも、来たものを選ばずに何でもやらせていただけるという仕合せに生きていけば御役目も役割も感謝のままに勤めさせていただけるように思います。
自分勝手に他人の役割や役目を決めるのは、どこかで自分の思い込みや固定概念によって他人を操作したいという願望や自分の計算を入れてしまうのでしょう。
世間でいう大人になっていくというのは、ある意味で計算してしまうことかもしれません。その計算という「計る」という思想の中に、まっすぐであること、正直であることを邪魔する何かが潜んでいるような気がしてなりません。自他に対して計算をしないと決めることが自分を直していくための王道なのかもしれません。
人がバカ正直だと馬鹿にするところにこそ、本来の正直の真価があるのかもしれません。素直な子どもたちはみんな正直ですから、馬鹿になるのはそうではなくなった方かもしれません。
そう考えれば自分の御役目や役割を自覚するには正直であるということが大前提に座っている必要があるのでしょう。自分に正直に、他人にも素直にという生き方はとても謙虚なものです。謙虚にいきていれば役割や御役目もまた自然に融和し共生の理に従って楽しく仕合せになっていくようにも思います。
何をさせていただけるのかはその時その時の楽しさですが、常在正直であることを大切に実践していきたいと思います。