最適な距離感

自然農の実践をしながら3年目になりますが、毎年実験していく中で失敗も多いのですが収穫もまた多くあります。

昨年は、小麦をあらゆる方法で蒔いてみてその成果を試してみましたがその一つ一つが意味があり、過ぎてみて観察してみるとどのように蒔けば善かったのかが観えてきます。

これは仕事でも何でもそうですが、何でも好奇心で熟慮してみて挑戦し、はじめたら諦めずに遣り遂げてみて、その後、省察する中で自然に意味が着いてくるのを静かに待つのと同じです。

心を動かし、身体を動かし、精神を継続することでそこに意味があることに気づきます。その意味をどれだけ深く厚く自分のものにし、質の高いものにしていけるかというのが日々の実践と姿勢によるものだと感じます。

何かをトライした日は、トライしただけの充実があり、何もしなかった日は何もしなかった日としての虚しさがあるということです。日々のルーティンに流されているだけでも一日はあっという間に終わりますから、いくら怠惰な気持ちがあったにせよそこに打ち克って苦しくても楽しい方を選んでいけばその日の終わりは幸福感を実感できるように思います。

頭で考えていることを如何に打ち負かすかは、天命に任せつつ自分を信じる力に比例するものです。自信とは、結果が出たから持つものではなく自分にとって苦しい方を選択して善いことになると信じた質量によって得られるのではないかは私は感じています。

さて自然農の話に戻せば、今回は麦の空間について学び直すことができました。

これは麦に限らず、全ての植物には空間というものが必用です。

地上で生きていくには、その生き物がのびのびと安心してお互いを尊重し合う距離感が要ります。これは麦がある一定の距離と空間を保障しあうことで他の雑草を抑制できるという意味です。これは、稲にも言えることでその風土や環境にあわせてどのくらいの幅で育つのが他の雑草と共生できるかということでしょう。

麦一つでも空間が開き過ぎても狭すぎてもよくなく、ちょうど善いバランスの所を手探りで掴まなければなりません。これらの農の実践のむずかしさと面白さは、これらの自然の技術の習得にあるように思います。

自然をよく観察し、どのようにすれば最適な空間と距離感になるのか、また他の虫たちや気候などとの調整の中に、自分の思い込みを外す必要が出てきます。

そしてこの空間の理解というのは、そのものを育ててみてはじめて観えてくるものです。ちょうど虫にも他の野草にも野菜にも人間にも最適な距離感をどう観出していくかは育成してみて気づく智慧なのでしょう。

見守る保育を学ぶ中で、他分野から深めていますが御蔭様で新たな感覚も芽生えてきています。育てているつもりが育てていただいているのはいつも自分の方です。

田畑に感謝しつつ、丁寧に学びとっていきたいと思います。