全身全霊を捧げるという言葉があります。
これは文字通り、自分の持てるすべてを懸けてということでしょうが簡単なことではありません。人間には、我があり、その自我との調和がもっとも難しいと感じます。
いくら自分は捧げたと思っていても、そこには自分我が入ってきます。その我が入るからこそ、そこに邪念が発生して澄んだ清らかな気持ちを維持していくのが難しくなるのです。
全身全霊の境地というのは、とても泰然自若とした心境ではないかとも思います。
それは本当に全てを捧げる覚悟だったか、思いやりを優先し切っているかどうかと省みると、まだまだ足りないと思う処にいつも保身があったりするのです。
相手のことを自分のように思えるかというものも、全身全霊に近づく方法の一つのように思います。人は全ての力を出そうとはせず、これくらいやっているのだからや、周りが評価してくれるのだからと、自分のミッションや使命に生きることや遣り切っていくことよりも無難で在る方を選択してしまうものです。
一つ一つのそういう自分のわきの甘さに向き合って、今、何を優先したか、その優先する真心は何かと正対していく必要を感じています。感謝や謙虚というものの中に入るのもまた、そういう全身全霊を捧げることで実現するように思います。
自然界に野生する動植物たちは、我がないからあるがままの自然に同然しています。基本に据えているものの中に、慈愛や尊厳を感じているのかもしれません。
自分の都合を入れていないか、もっと周囲のために活動できているか、真心のままに日々を遣り切らせていただいているか、内省を深めて等身大の自分を錬成していきたいと思います。
等身大の自分であるかを常にチェックし、素直な心で自然を学び直していきたいと思います。