自然界に入り、ふと感じたことがありました。すべての生き物たちには父母があります。父母なしで生きているものはありません。父母は空気のように当たり前に存在しているものですから今更考えないのかもしれませんが、そこにはとても重要なことが隠れています。
私たちの今を思うとき、そこまで連綿とつなげてくださった父母から辿っていくとずっと先の祖までたどり着きます。しかしその祖とは何かといえば、その祖はあまりにも遠大であり観えません。なぜならその祖にもまた父母があるからです。
同じように私たち自然界の生き物の父母をずっと辿っていくと、地球や宇宙の先に祖があります。しかしその祖にもまた父母があるのです。
どこまでたどれば父母の元に逢えるのか、その元が分からないから父母の存在は偉大なのです。中江藤樹が父母の恩徳は天よりも高く海よりも深しといいましたが、私なら「父母の恩徳はいのちなり」です。
父母の元とは何か、それは此処に活かされている自分。この自分の中に存在するいのちです。そのいのちの中で、私たちは父母に出会うのです。
もっとも遠大なものは、もっとも卑近にこそあるものです。私たちが気づきもしないところにこそ、真の存在は永遠に生き続けているからです。
いのちの大切さなど教えられるものではありません、いのちは父母そのものですから常に自分の中に存在するということに気づくだけということでしょう。
人間は何かあるとき、父母を辿っていくといいように思います。そこにあるいのちの息吹に触れて目覚めていくように思います。人類史はいよいよ過渡期に入りますから、しっかりと父母の恩徳を意識しながら歩みを強めていきたいと思います。