本業の本質

昨日、自然農の田んぼの田植えを無事に終えることができました。お思い返せば3年前の震災を機に、様々な出来事を体験し、これを必ず善いことに転換するのだと覚悟を決めてから開始した実践の一つでした。

如何に人間が自分たちの都合で社會をつくっているか、本来の自然からかけ離れた発想の中で暮らしているか、その先にあの原発や歪んだ欺瞞が存在するのか、そういうものが子どもたちにどう残っていくのかを向き合ったのです。

先日もある方から、私が楽しそうで自然農の実践も続くので「本業ではなくて遊びだから続くんでしょ」と言われましたがその時はそうなのかなと思いましたが初心を思い返せば「生き方と働き方が本業だからこそ遊んでいる」のかもしれません。

私は少し変わっているタイプのようで、自分でも自分のことがよく分かっていないことがあります。自然のことは大好きですし、田植えだけではなくその周囲の虫たちや生き物たちに囲まれて自由に遊んでいるのをご一緒するのは心が幸福を感じます。

しかし何のためこれらをするのかというのは、遊びではない「本気」の志もまたあるのです。

他人からどんなふうに思われていても、私の中には「子ども第一主義」が息づいており、そこがあるから挑戦も改善も已まないのです。人はそれぞれに自分の物差しがあるのでしょうが、理念に合わせていけば周りから見れば変だと思えることでも合点がいくのです。

理念や信念がある人が変人に見えるのは、それは一般的な社会通念に合わせて生きているのではなく、その人には譲れないものがあるということです。そして生活は普段通りに暮らして周りに気を使って快活でもある一線には不退転の決意が存在しているのでしょう。

人間は守りたいものがあるとき、傷つくことをも恐れなくなるのかもしれません。

挑戦は常にその初心によって助けられながら前進していくものです。何かをしたから本業なのではなく、どうありたいかが本業の本質なのです。

初心を忘れたなれ合いでは何かをした気になってしまうのかもしれません、畏れ慎みたいと思います。常に色々な人たちの言葉は自分の初心を思い出すための助言だとして素直に正直に謙虚な心で自戒していける自分でありたいと思います。

誰かを思いやりはじめたことは常に感謝の中にいるのですから怠らず勤めていきたいと思います。